読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

プロフェッショナル・ルール

先日、ファッション誌の編集さんと打ち合わせしていたら、ネイルのブランドを一発で当てられて、こう、どぎまぎしてしまいました。プロってすごいな。こんなとき人と話すのはおもしろいな、と思う。ぶっちゃけ大人の方がこういう面ではおもしろいよな。仕事。仕事っていうのは変なんですよ、これまで平均的に国語算数理科社会をまんべんなく勉強してきて、苦手だろうがやらなきゃいけないとか言われて、体育だって必修で。同じ服きて、同じルール守って、私たちはロボット工場に通っている、なんてメタファりたい気分にもなりながら学生やってたと思ったら、仕事は専門も専門も専門じゃないですか! なんの共通項もない! 急にみんなばらつくし、急に友達が知らない専門用語を喋り出す。編集さんとかがこう、急に出版業界の用語とか喋りだして「??」ってなっていることにも気づかずに話が進んでいくときとかおもしろいですよね。おお、この人はこの言葉を一般用語だと思っているのか…!人生!って。みんな普通じゃ知らないことを知っていて、そしてそのことに本人も気づかない。最高だ。学生の平均値教育(とわたしがよんでいる)はどこにいったんだというこのずれ。そして平均値教育の賜物で、しっかり仕事している人ほど自分が普通だと思い込んでいるというずれ。センチメンタルな感情とかより全然面白い。もちろん学生の頃もそれぞれに好きなものは異なっていたりするんだけれど、そういう「趣味」とかから発展した知識というのはどうしても、誇ってしまうことがあり、無知であることを恥じたり、軽蔑したりする可能性もあるわけですが、もはや仕事から来た専門知識なんてひけらかすようなものでもないというか、そもそも本人もしみつきすぎて気づかないというか。無意識に発露される「偏り」というのは、人生というぶあつさがよく出ていておもしろいです。
   
あたりまえのことをしていて、でも第三者から見てあたりまえじゃないというパターンは多くあり、それがたぶん人生とかいうものなのだろうな、と思うと、仕事というのはそういう「あたりまえ」を生産するすばらしききっかけなんだろうと思う。私にもたぶん変な偏りがあるはずで、そういうのを聞きたいのだろうかとかインタビューされているあいだ思ったりもする(しかしろくなこと話せませんけど)。思春期的発想でいけば、まあ仕事で感覚がズレるというのは社会の奴隷でしかないというか、要するにそれって首輪を自慢する奴隷ってやつでしょ?みたいなおきまりの例え話をひっぱりだすことだって可能ではあるんですが、私はただなんとなく、学生時代の友達の話より、なんというか仕事を始めた友達の話は生きてんだなあ、他人なんだなあ、としみておもしろくおもいます。仕事というのは要するに世界を細切れにしてそれぞれをみんなが背負うというあり方なのであり、平均的になにもかもを詰め込まれた学生時代に比べたらずっと、なにかを認めている気がするんですよね。えーっとテキトーに書きましたがとにかく、仕事の話というのは、好きなものとかの話よりちょっと「人生」の匂いがするなあ、って話でした。