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季節なんて地球の気まぐれ

ブログを本にしたいのだけれど、そしてしたいですねという話は時々あがるのだけれど、まだ夢は夢なのでいつか叶って欲しい。(という言葉をそっとツイッターの水面に乗せるそのような本日。土曜が終わり今日曜になりました。)
先日行ったイベントで「タヒさんは夏を敵視するような詩を多く書いているような印象がありますが」というような四季についての質問をいただいていて、その「敵視」という指摘にそうだったのか!と思いました。夏は嫌いというか、夏は日差しが強いから、跳ね返さないと染められるような感覚はあって、冬はむしろじわっと染み込んでくるので反抗しても無駄な感じがあり、そもそも四季というのは地球の感情というかきまぐれみたいなものなので、まともに対応するというか何かを思うというのは実は50億年レベルで見ればすごいバカらしいのですが、それでもそれぞれに対して認識は異なってしまいますよね。われわれは結局100年にも満たない寿命のやつらだから、そうしたゆらぎに必死で反応するのですよ。悲哀。夏。皮膚が焼ける季節っていうのはしかし、ちょっとまともではないな、とは思います。殺しにきている感つよくないですか。冬もあるけど、さりげなくじゃないですか、あいつは。本当に怖いのは冬なので、私は冬が好きなのであり、そして短絡的な夏に対しては、わかりやすい敵意を向けるのかもしれません。
    
佐々木俊さん(ロゴとか本の装丁とかしてくださっている天才デザイナー)がロゴのハンコを作ってくださったのがうれしくて、わっしょい言いながらスタンプ台を大量買いしました。わたしに押せない色はない!ってかんじです。今後サイン本を作ることがあれば、サインと一緒にぽんと押したい。つまり本を作っていきたい。本!
本という形態は便利だなとは思うんですよね。名刺の代わりになるし活動する媒体としては最高だと思うんです。これ何度も言ってますけど、やっぱ便利だなと思います。読んで欲しい人とかには渡せば済むし、あとはその人の時間次第でご自由に、というかんじも押し付けがましくなく。まあ、重いというのはあるかもだけれど。とにかくそういうかんじでございます。本!などと、叫びながら私は本というものにそこまで慣れ親しんだ子どもではなかった。絵本は好きだったけれどたぶん絵本でおなかいっぱいになったのであろう私は、そりゃ本当に読まない子に比べれば本に対する抵抗がなかったけれど、でもだからといって読書家とは死んでも言えないっていうレベルだった。しかし家には大量の本があり、本が好きな親に育てられ、そのせいか本というものになぜかなぞのロマンチックを感じていて、本という存在はいいなあ、と読みもせず図書室で眺めるようなやつでした。コンパクトなのがまずいいです。そしてこう、押し付けがましくなくそこにあるのもいいです。「いつでも開き、そしていつでも閉じてください」というその態度はおもしろく、それでいて、最後まで読ませるつもりで作られているというそのありかた。凛としていますよね。謙虚さと自信。そういう形におもえたから本を読むという友達にはなんともいえないかっこよさというか「大人だ!」という認識があり、その子が話す作家の名前だけ詳しくなったりして、しかしそういうやつだったので、本に関わる仕事というのに憧れてはいたのだろうとおもう。かわいいからお花屋さんになりたい、ぐらいの短絡的思考で憧れていたのだと思う。もしかしたら今も短絡的にあこがれているだけかもしれない、なんてこともちょっと思う。