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ぼくは自虐ができない。

相手が安心して楽しんで聞ける自虐ネタのコツというのは、結局「本当はもっと恥ずかしい話が別にあってそれをひた隠しにしている」ということを絶対に気付かせない、というところにある。要するに今話したことこそが、私の最底辺エピソードです、と嘘だろうが本当だろうが相手に信じさせなきゃいけない。自分の惨めさをさらして笑ってくださいという態度をしめすとき、少しでも自分のなかにねむる自尊心の存在を気付かせてはいけないのだ。もちろんそんなのはなんか勝手な話だし、そもそも自尊心なんて誰にでもあるだろ、他人を笑うな!と言ってしまえばそうなんだけれど、他人に笑って欲しい時もある。というか笑ってくれなきゃこの過去は成仏しないという時もある。しかし一方で、笑われたくない・他人には隠しておきたい話なんて誰にでもある、とも思う。自虐が上手い人だって結局はすべてをさらけだしているわけではなくて、隠したいこともあるわけで、つまり本質的に向いている人なんていないのだ。その隠したいエピソードの気配を、どのように消すか、その得意・不得意がすべてなのだろう。そしてそれは意外と見た目だとか職業だとか立場だとか、なによりその人のキャラクターで左右されてしまう。綺麗な女優さんとか、立場上恋愛事情なんてぶっちゃけてないのは明白で、だからこそその人がやる自虐系「ぶっちゃけエピソード」はあんまり効果がないし、やる人自体めったにいない。芸能人でなくても人との距離感を多めにとりたがる人とか、要するにとっつきにくいように見える人、心の壁がぶあついことが見え見えな人というのは自虐ネタは向いていないんだろう。ぶっちゃけがぶっちゃけに見えない。そしてたぶんこういうひとがなんとか自虐をやろうとした時、「痛い」とかいう暴力的な言葉が使われる。うーん、勝手だ。勝手だと思うけど、でもそれは結局聞かされた側が「いたたまれなくなった」という、そういう事実だとも思う。そしてだからぼくは、自虐ができない。
   
なぜこんな話を書いたかというと要するに、学生時代バレンタインでチョコレートもらえなかったという男の人がよくやるあの自虐ネタがうらやましいということがいいたいのです。この純然たる「もてなかった」エピソード。もてることにどれほどの闘志を燃やしていたか、自意識がふりまわされていたかということが中高生男子というその設定によって、容易に想像できてしまうから、「もてなかったということがその頃のその人にとっては最大限の絶望だったに違いない」とみんなが思い込んでしまっている。まあ実際の青春なんてそんな単純でもないし、それ以上の苦しみや悩みなんていくらだってあっただろうけれど、でも圧倒的な先入観によって「もてなかった!」という全力のエピソードが、全力のまま、最底辺エピソードとして炸裂することができるんだ。まあ、できたからって当人は嬉しくないだろうけれど。でも、そこで得られる「親近感」って絶対あるよね。あれが羨ましい。コミュニケーションが下手くそな人間は、まるで光によばれた蛾のように自虐ネタに憧れてしまう。あれができるひとというのはいつだって、自分よりもずっと誰かに愛され、親しみを覚えられている人のようなそんな気がするんだよ。