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思い出せば、過去は消える

東京タワーにはじめて行ったときに、買ってもらった東京タワーのプラモデルはピカピカと光って、それが子供心にすっごくかっこよくてお土産の域を超えた愛着を持っていたんだけれど、しかしそれは阪神淡路大震災でばきっと折れてしまい、また行ったときに買おうねと慰めてもらったけれどそれから結局買ってはいない。このことを時々思い出しては、東京タワーのグッズをインターネットで検索して、似たようなプラモデルを探すけれど、正直どんなのだったのか覚えていないのだ。でも、見れば見るほどあれでもこれでもないな、と思う。たぶん同じものを見たってこんなのだっけ? なんて思う。そして案外もう、同じものを手に入れたいとすら思っていないんだよな。じつはどうでもよかったりする。
あと、なんでケーキ屋さんはデリバリーやってないんですか、という疑問は常にあって、深夜とか外に出れないときとかそういうときに欲するのはケーキですしケーキ! 一つずつ丁寧に作られたケーキですし! 社会がここまで便利になっても、やっぱりケーキ屋さんは夕方で閉まるし、24時間営業なんて狂っていると思うけれど、でも夜にケーキ売ってないっていうのが本当に辛い。それぐらい、私にとってケーキは重大で、だからケーキの思い出というのもある。小さい頃よく、買ってもらっていたケーキ屋さんはタバコ屋さんだったところを改装したのかな? と今なら思うぐらいに狭いお店で、本当に1mあるかないかガラスケースが道に面してあって、そこに素朴なケーキが並んでいた。私はそこのチョコレートケーキが好きで、形までは覚えているんだけれど、しかし一切味が思い出せない。たぶん同じものを食べたって思い出せないだろうと思う。そしてまたこれも、もう一度あの味を!とはちっとも思わない。たぶんそこまでおいしかったわけではないとおもうんだよね。正直当時食べたケーキの味とかどうでもいいよね。親が買ってくれたとか、そういうことはいい思い出だけど。
   
いまだに高校時代の夢をみるし、受験勉強していたりする。小学校がそこまで遠い思い出だとも思えなくて、忍び込んでもバレないんじゃないか、ぐらいのことも考える。懐かしいという感情は、たぶん、戻りたいけど戻れない、ということが前提として成立する感情で、私はどこかでその気になれば戻れるし、でも戻る気が今の所ないだけ、というつもりでいる。だからあまり懐かしいとか思わない。思い出すことがない。どこでそこが変わるのかはしらない。近しい人との別れや海外とかへの引越し、そういう手遅れになるほどの喪失が懐かしさを作り出していくのか、それとも、ただただ現実から逃げたくなった時に生まれるのか。けれど、思い出されることによって消える過去は確実にあって、それはたとえば私がチョコレートケーキ以外に気まぐれで買っていたケーキの形や味、東京タワー以外にあのときに買ったお土産で、そういうものははっきりとした記憶をあめだまみたいに口の中で転がすたび、消えていく、溶けていく。もう思い出すことができない。時間というのはほとんどが記憶に残るほどでもない、つまらなさとくだらなさで形成されていて、それらはきっと「懐かしい」だとかで美化された瞬間に四捨五入みたいに消えるんだろう。でも、それが本当は、過去の9割を占めるんだよね。思い出にも記憶になる前の、昨日やら一ヶ月前のことなんて微塵も大切ではなく、たとえば卒業式にしれっとしてしまう気持ちとか、そういうのはどうせでも大して変わんないでしょ? とか、こんなくだらない毎日にもったいなさなんてないしなあ、みたいなそういう9割への意識が関わっている。そして、そういう寒々とした気持ちはそのときしかもう味わえない。遠のくたびにそんな気持ちは捨ててしまって、いいも悪いもどちらも極端なことしか思い出さなくなるんだろう。私が、まだあのころと地続きのつもりでいるのは結局思い出そうとしないからで、過去も現在と同じデフォルメのされない9割くだらない時間のままだからだ。別にそれはいいことではないし、きっといつかたくさんの過去が手遅れになる。それでも、なんかめんどくさい、なんかどうだっていいと思ってしまうし、きっと、東京タワーが取り壊される未来があるなら、そのときまで、プラモデルはいらないし、ケーキ屋さんの名前も、甘いものなんて食べれないぐらい歳をとってから調べたらいいじゃないか、なんて、今お気に入りのケーキと今お気に入りのぬいぐるみを見ながら思ってしまう。