ぼくが大人に敗北する日

2月といえば中原中也賞の選考がある月。というわけで今年も受賞作が決まったみたい。おめでとうございます!
中原中也賞:カニエ・ナハさん「用意された食卓」 - 毎日新聞
中也賞は若手の詩集に贈られる賞で、私も1冊目のグッドモーニングで受賞したのですがそれはともかくとして、最近の若い現代詩を知りたいという人はこれまでの受賞作や候補作を巡ってみるの、おすすめです。
   
私が中也賞の候補になって連絡を待っていたときはテレビの焼肉特集を見ていて「受賞がもし出来たら焼肉たべれるかな」って思っていたぐらいしか記憶がなく、あと、現代詩花椿賞のときは候補になったこと自体知らなかったので、普通にバルサン炊いてて、部屋から逃げるそのタイミングで電話かかってきました。後々考えると自分の詩集を読んでくださった方々が選考でさまざまなことを論じていたのに、そんなときに私は焼肉のこととバルサンのことしか考えていなかったなんてなんか自分のしょうもなさが溢れ出して大気圏まで全てを沈めそう。中也賞もらったときは大学生だったんですけど、どうやら選考委員の方は詩のかんじからしてフリーターかと思ったそうです。私の大学は学風が自由すぎてニュースになるぐらいなんですが、その自由さから言って、たしかに先の見えないかんじ、今だけを生きる感じはあふれだしていたのかもしれない。といっても、私の世代だと、その「自由」イメージ、「変人」イメージが強すぎて、学生はそれを後追いしているというか、どうも人工調味料、天然のやばいひとはあまりいなくなっていたと思う。私はそもそもそういう人たちがたくさんいるのを期待して、あと東京が大嫌いだったのもあってそこを受験したんだけれど、実際行ってみるとそこまでではなくて結構がっかりしてしまったな。高校時代とかに忍び込んだその大学の寮は伝説がいっぱいで、古すぎて感動しかなかったんだけれど、しかしそのカオスが大学全体にあるわけではなかった。唯一の救いは先生に変な人が結構いたということで、ある程度年齢を重ねた人が大学に通い始めるのにもそれでちょっと納得がいった。変な大人に飢える時期っていうのは社会人にはあるのかもしれない。私は最近白熱教室とか見るの好きになってしまいました。
なんにでもそうなのですが、一つのものに固執して研究を重ねるというのはちょっとおかしいひとじゃないとできなくて、それでいてそういうひとが「教える」というコミュニケーションの最前線にたっているというその時点でちょっと矛盾がやばくて、今はやりの言葉で言うと重力波がでそう。(重力波ブームが激しすぎて、正常な意味でこの用語を使う元気がない。でも重力レンズ効果のほうがポエジーだとは思います。もうそれ以上は語る元気が出ないし、昔の記事へのリンクをそっと貼る夜。)そのせいなのかはわからないけど、とにかく大学はヘンテコな大人がいっぱいいた(うちの大学は特にそういう人が多かったらしい)。そういう人って、大学を一歩出ると本当に見つからなくなるというか、どうしても社会の主役になることが少なく、陰に隠れてしまうみたいで、だからこそ、一番目立つ壇上にいるというのが愉快だった。大人ってつまんなーいとか思ってたけど、それは目につく大人しか見ていなかったからなんだな、とその時に知った。少年漫画とか少女漫画でも、大人のキャラクターが画一的でないというか、ただの悪とか、そういう描き方ではなく、もっと複雑でいて人間くさくもあり、それでいて器が大きかったり、深い知性をもっていたりすると一気に作品自体がよくみえると思っていて、それはたぶん現実も同じなんだろう。大学は画一的な大人もいるにはいるけどそうでない人も同じように壇上に立っている。社会という中にいても屈しない変な大人というのは普通に考えても最強なので、「大人はカスで青春こそが正義」といううすっぺらい十代の価値観がふみつぶされ、で、お前はカスな大人になるん?若さだけで勝ったような気になってるけど大丈夫?という問いかけに向き合い続けざるをえなかったし、先生に比べるとやっぱり大学生は普通というか、どうしても良識的で、人間としてのタフ度合いが完全に先生に負けていて痛ましかったし悔しかった。学生にもきっとヘンテコなひとはいたんだろうけれど、そういうひとはうるさい構内には出てこないし、社会と同じように陰に隠れてしまうのだよね。先生はたとえ、生活のすべてを犠牲にして学術に生きてようが、ちゃんと壇上にいる。見つけられる。20歳になったらもう誰もが腐りゆくだけとか思ってたけど、人生なめてた申し訳ございません、と私は思わざるをえなかった。人生も何もかもベットしながら生きなければならない大人が見せる先鋭は、子供では永遠に太刀打ちできない。このまま私が歳をとって、大学を懐かしく思うことがあるのか、それならもうだめだ、と思う。懐かしむぐらいならさっさとああいう大人になりたい。ならなきゃいけない。そのまま意地でも生きのびろ。
    
そういえば『死んでしまう系のぼくらに』、重版出来しました。5刷目です!ありがとうございます!

「わたしをすきなひとが、わたしに関係のないところで、わたしのことをすきなまんまで、わたし以外のだれかにしあわせにしてもらえたらいいのに。わたしのことをすきなまんまで」
   
詩「夢やうつつ」
(詩集「死んでしまう系のぼくらに」に収録)