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「人間様、嫌いでございます。」

共感はうれしい。でも共感がほしいわけじゃないんだ、違うんだ……という気持ちがなければ、ものは作れない気がしている。私は、世の中を四捨五入して単純明快なダイジェスト版を作品という形にするのが仕事ではないと思っているので、というかそんなんおもろないしな、文字が跳ね回って、へんてこな形を作りながらが、なにか感じ入るものはあるけど、これは届く?届くの?と思いながらできたもの投げたら反応があった、というのがやりがいがあるし、おもしろい。人は中にいろんな感情を持っているけれど、なんていうか動いていない部分、潜在的な部分が9割で、そこは意識していないと思うんですね。で、そこと意識がある部分をかけあわせて、新しいものを、発展したものを、ぽんとその人の手もとに生み出す仕事がしたいから、だから共感が欲しいわけじゃないんだ、違うんだ……と思っていないとやってられない。そんな世界の微分みたいな仕事はしたくない。でも、結果的にそれらに対する反応が共感であることも当然あって、それは単純に嬉しいです。ひびいたんだなとわかるし。だから、それはあるわ〜とかそれはないわ〜とか思いながら読んでもらえたらいいなって思う。あるわ〜もないわ〜もだいたい同じことだし。
   
私は人間があまり好きではないので(人間様を否定しているので丁寧語で書かせていただいております)、こういうことを書くのも億劫なぐらい、主張したくもないぐらい、どうだっていいというか、関心を持つこと自体が失礼だと思っている節があり、そのせいか非常に興味のなさそうな態度をすることが多いらしく、年上の女性にはよく怒られます。男の人に怒るときみたいなかんじで怒られます。「なんで気づいてくれないの?!」と言っているとしかおもえないようなことで怒られ、当然、私は「言ってくれなきゃ分かんないよ!」と思います。どうやら、「察する」ということを極限まで放棄しているというか、だからネット上の人間の年齢とか性別とかがほんとうにわかりません。私はずーっとそういう態度でいて、だから他人も自分にそういう態度でいるものだと思い込んでいて、自分に興味を持たれたりすると、意味がわからなくて震えます。好意ゆえの興味というのがどうしてもわからず、すべての興味がただの好奇心ではないかと思ってしまうところがあり、そういう態度がさらに、他人の怒りを買います。しかし、人に自分の話をしたいとあまり思わないんですよね。おかげで私は話すことがいつもなくて、人との会話に困ります。それにそういう普通の人の話を聞いておもしろがるということがどうしてもわからなくて、人間というものをみんなそんなに好きなんですか、とよく驚いていたんですが(皮肉に聞こえるかもしれませんが、素で思っています)、だからこそこういう仕事ができてよかったなあ、と最近は思う。共感をしてもらって嬉しいなんて、おもうのは書いた作品ぐらいで、あんまり普段の会話で「わかる」とか言われても嬉しくはない(不快になったりはしませんけど)。もちろん上記の通り、共感を欲してはいないので、嬉しいという感情はどっちかというとちゃんと仕事ができてよかったという作家としての達成感的嬉しいではあるけど。でも、それでもそういうふうに他者からの興味や関心を嬉しいと思えること自体が、私にとっては嬉しいことです。