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交換するビビデバビデブー

本が発売したのに、ブログの更新ができなかった。多忙だったからというのがすべての答えなのだけれどそれを言い出すといつだってやらなきゃいけないことは転がっていて、でもできていないというだけで、ここ数日は要するに逃れられない&体調への影響力がすごい系の多忙さだったからというだけ。でも読んで欲しい気持ちでいっぱい。「渦森今日子は宇宙に期待しない。」をどうぞよろしくお願いいたします。なななんと、売れたら続きが書ける系だそうです。彗星みたいな女の子の、彗星みたいな青春のお話。かわいいハイスピード。十代を生きたことのある人、生きている人にならきっと何かが響くはずで、私が誰か知らない人のところにまで届いたらいいなあ、って思っています。
   
ネットという言葉とウェブという言葉のこの絶妙な棲みわけ加減は本当に誰も本質的な分け方を把握できていないのではと思うほどで、最近はどっちかの言葉が使われているシーンを見ると、もう片方ならどうだろうと当てはめてみたりする。そういえば同時代の作家や歌手の作品タイトルを、逆にして空想してみたりするの楽しいですよ。全然それだけで言葉のイメージが変わるので、それまでの作品群が作り出してきたイメージとというもの、色というものを実感できます。「時代」が中島みゆきさんか松任谷由美さんかで、想像する曲は変わるけれど言葉のすわりはどちらもちゃんと落ち着くんですね。「翳りゆく部屋」とかもそう。これはもちろん言葉の器が大きいということもあるんですが、お二人のカラーが強いことと、それがかなり全ベクトルに向けて放たれているから(ニッチではないということ)だと思うんです。ようするに作品群も作品も、別個でPOPでありSHARPでないとダメなんだろうな。作家さんだと、村上春樹さんと村上龍さんの作品タイトルを交換して見ると、言葉選びの鮮烈さや、それぞれの作者に対してそもそもあるイメージなどが丸裸にされ、それでいて別個に意識できるのでオススメです。だからなんだって言われたら困るんですけども。私は楽しいですという感想文でした。
    
何の話だっけ。あ、ネットとウェブの話。ウェブというのはたぶん、自分がアクセスしなくてもそこにあるものなのだけれど、ネットというのはどこか主体性があるというか、接続するというその行為自体も言葉に含まれている感じがします。インターネットが好き、とはいうけど、ウェブが好き、とは言わない感じ。ウェブ2.0だけど、ネット2.0ではないかんじ。まあ調べればちゃんとそれぞれに違う意味があってそこが使い分けられているというだけなんだろうけれど、でもちょっと近すぎませんか?この二つ。そしてこの曖昧さ、いいなあ、と思うんです。こんな用語にまで正誤とかはっきりさせるようになる日が来たら、そのころにはたぶんネットも古びた媒体となっているのでしょう。若者のインターネット離れ。そしてトレンドは脳の交換!(ジョークです)一応交換を前段落と揃えたところで本日のブログは終了させていただきます。