過去にないもの。

昔ロックというものに興味を持っていろんな名盤といわれるものを聴きまくって、ぜんぜんわからなくて、ぜんぜんわからんということにショックを受けていたんですがこれは私だけなんだろうか。感受性の問題なのかもしれないけれど、でもどんなジャンルにおいても、「文脈を知っていてこそ」というなにかはある。音楽を楽しむということ自体が当時の私にはさほど根付いていなかったので、まずどういう姿勢でCDラジカセに向き合えばいいのかわからなかった。つきつめればきっと、超個人的であいまいな「いい」「悪い」「好き」「嫌い」を文化に対してぶつけること自体それまでやったことがなかったのかもしれない。続きがきになるとか、そうしたエンタメに対する感情とはまた違う、きゅんときたならそれが「好き」のサインだというそんな感覚に慣れていなかった。アンテナが出来上がっていなかったというか、頭の蓋があいていなかったというか。そんななかで急に、すべてがわかるような瞬間というのはきっとどんなジャンルにもあり、私もあるときある曲を聴いて、過去に首をかしげてきた作品もぜんぶぜんぶ好きになった。そういうきっかけは確かにある。
     
最初にきっかけをくれる作品はだいたい、その人にとって最強の存在となる。たとえのちのち、そのルーツとなる音楽を聴いたって、逆にもっともっと進化した音楽を聴いたって、きっかけとなった音楽を超えることはない。そういえば、好きなアーティストも結局好きになったそのときに聴いた曲がどんな新譜がでても1位だ。贔屓ですよ。感性の奴隷ですよ。そんなふうにバカにすることもできるけれど、でも、やっぱり私はそのとき、その瞬間に、「あ!」と言わせてくれたその音楽には力があったんだと思う。音楽そのものの単純な質の話ではなくて(それももちろん関係はするけど)、たとえば時代性だとか、その人のそのときの心情、体調だとかタイミング、そのすべてが揃ったからだと思うのです。じゃなかったら私たちは全員、なんでも鑑定団のビートルズでロックの洗礼を済ませておかなくちゃいけないだろう。結局、なんだって最初は、作品の質以上のなにかが必要なんだと思う。
過去には大量の名盤があって、有名なロックスターが毎年死んでいく。で、それでも、新しい音楽は生まれて、もちろんそれらすべてが過去を超えていくわけもなく、それなのに新しい音楽が青春のすべてだという若者が現れる。大人になってしまえば「そんなんより、60年代のあれを聴けよ」なんて彼らに言いたくなるのも自然と言えば自然で、実際、やっぱり時間という流れの中で淘汰され、それでも残った音楽の方が、「いいもの」とされるものに出会える確率は高いんだろう。でも、それでもそういう話じゃ済まない部分があるはずなんだ。絶対的な評価、いいだとか悪いだとか、名盤だとかそういうものを理解できるようになるには、まず超個人的な経験が必要で、それは音楽の質だけではどうしたって作れない。自分の持っているもの、好きな食べ物、そういうものが歌詞にでてくることだったり、ミュージシャンが同い年でしかも同じ出身地だったり、文化祭で好きな子が聴いていた音楽がそれだった、というそれだけのことだったり、そういった音楽と関係もない部分、「現在」との共鳴がきっかけを作る。今生まれている作品には、今生まれたというその価値がある。それは音楽だけじゃなくて、本だって、漫画だって、映画だってなんだってそうで、だからこそもうなんだってある、すばらしいものはなんだってある今みたいな時代でも、私はものを作っている。