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好きなものなんか。

自分の好きなものをひとに教えるということが、どうやっても好きになれなかった。なんでそんな個人的なことを話さなくちゃいけないのか、尋ねられると昔は苛立ちさえした。好きな音楽をプロフィール代わりに列挙することや、尊敬する人物を紹介することで自分を説明することが、恥ずかしくて怖くてどうしてかできない。そんなものは自分の話でもなんでもないし、ただの他人からの借り物の寄せ集めじゃないか、それでどうして自己表現になるの? そう思ってしまった。個人的で、それでいて他人に話すべきでもなさそうなさりげない情報だということ。友情や敬意を打ち明けることや、祝福の気持ちをさらけ出すことはいくらだってしたい。でも、私の好きなものなんかをどうしてきみに伝えなきゃいけないんだ。好きな音楽が誰かと一緒であったとしても、どうやって喜んだら良いのか私にはよくわからなかった。
   
好きなものというのは、とても私的であるように思う。私は他人とご飯を食べたり、一緒に映画を見たりすることは好きだけれど、他人に対してその人と共有もしていない自己をさらけ出す意味がよくわからなかった。自分の「好み」の情報を開示することで、私はなにかが満たされたような、そんな気持ちになるんだろうか。そうだとしたら、それはひどく気持ち悪い。自分が何を好きなのか知ってもらうこと、それを覚えてくれていることがふとした拍子に判明すること、そういうのは一般的に「みずみずしいコミュニケーション」なのだと知っている。でもなんでそんなところでみずみずしくならなくちゃいけないの。好きなものは、やっぱり好きなものでしかなくて、わたし自身のことではない。それでいてわたしの内側で完結しているものなんだ。お互いが「これはどういったものなんだろう?」と思っている食べ物を一緒に食べたり、「これおもしろいのかな?」って一緒に新しい映画を見に行ったり、そうやって他人と時間を共有するのが好きだ。他者と時間を共有するのは、新しい世界を知ることだと、どこかで信じている。私とその人たちの内側に、まだ落ち着いてはいない風みたいなものを一緒にあびることが、「共にいる」意味だと思っていた。だからわたしの中にあって、もう苔だって生え始めている情報を、持ち出したくなんてなかったんだ。
それでも、好きなものを教えてくれる人は周りにいて、私はそうした話にうまく相づちが打てないでいた。私は、他人の「好きなもの」話が嫌いなわけではないけれど、でもやっぱりどうリアクションをするべきかがわからなかった。そのせいで「きみは私に興味がないでしょう」と相手から言われることは多く、申し訳なくて前かがみになって、そのまま前転でもして家まで帰ってしまおうかと思う。ひとと話すことが嫌いなわけではないし、ずっと一人でいたいなんて思っていない。知らない場所で時間を共有するのはむしろとても楽しいことだとも思う。(私はよく知っているお店とかに友達といくよりは、まったく謎の店とかに友達といくのが好きです。)でも、私自身、自分の好きなものを知って欲しいと思ったことがないから、どんなリアクションが必要なのかわからなかった。悲しそうな相手を前にして、少しだけ、「どうしてこの人は、悲しい気持ちになるかもしれないのに、そんな話を私にしたんだろう」とも思う。私はそういう相手のつれない態度が怖くて、だから、「好きなもの」なんて打ち明けていなかったのかもしれないね。だから、相手のしたことが不思議だった。とても申し訳ないとも思ったし、それから自分のことを残念に思ってしまった。
  
たぶん、彼女たちと私は、おんなじなのだ。お互いに、そこまで関心はなくて、そして「好きなもの」を教えるリスクも承知している。「そんなのが好きなの」って否定される可能性だってある。相手が私みたいにうまくリアクションをとれないことだってある。そういうときのさみしさは、やっぱり、一緒に見た映画が「おもしろかった」「おもしろくなかった」で意見が割れるときよりもずっとずっと独りよがりで、本質的な孤独がある。私はだからこそ、他人に話したくない。そして、彼女らはだからこそ、私の薄い反応に、悲しんでいた。たぶんそこしか違いはなかった。
どうしてこんなことを話すんだろう、と思ったのは私が単純に、優しくなかったというだけで。彼女たちだって本心から「聞いてほしい!」というわけではなかった(多分大多数は)。それでも、私とこれから時間を共有していくために、まずはきっかけとして、会話をはじめるために、自分の内側からちょっとした話題を引っ張り出してきたにすぎない。たぶんね。でも、きっとそう。リスクもしかたがないやって、思った瞬間がきっとあって、それから歩み寄っていたんだろう。彼女たちはそれぐらい、優しかったんだろうなと思う。私はずっと他人に対して、嫌いではないけど、優しくもしたくないな、みたいな感覚で生きていて、それはたぶんリスクをとるのがちょっとしんどかったからだ。今だって別に私は優しくないし、一番の友達の好きな食べ物もよく知らないままだ。そのせいで、たぶん友達も少ない。でも、そうした優しい人たちの気遣いに気づけただけで、私はその人たち自身のことを、前より少し好きになれる。