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宇多田ヒカルのこと

私は宇多田ヒカルのことをちゃんと、一度書いておくべきだ。appleTVのSiriに「宇多田ヒカルをかけて」と伝えて、それから5分後に急にそう思った。宇多田ヒカルがデビューした時私は小学生だった。音楽なんてそんな詳しくなくて、ツタヤというシステムもまだ把握していなかった。流行を追うことにほとんど熱心ではなくて、スキー旅行だとかそういうもののときにバスでかかる音楽を聴いて、今はKinKi Kidsという人が人気なんだ、とか、SMAPという人がクラスメイトの話題になることが多いとか、そういう把握のしかたをしていく。宇多田ヒカルという人は、そんな私の子供時代に登場した。そして私が初めてアルバムを買ったアーティストだった。
   
私が書いた詩のなかに、こんな一文がある。

「宇多田ヒカルを聴いて、思い出すのが校庭の匂いなら、きみの幼少期は最高なもの。」
(詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』収録)

たぶん、ここに書くべきひとは、他のどんなアーティストでもなく宇多田ヒカルしかありえなかったんだろうな、と私は思う。彼女の歌は商店街のスピーカーにかかっていたって、大学生の一人暮らしの部屋にかかっていたって、おばあさんのラジカセからかかっていたって、馴染んでしまうなにかがあった。あのとき、あの時代。みんなそれぞれのそのときの記憶とともに彼女の歌を覚えている。それぞれの人生の一部として、それぞれ、違う形で残っている。社会現象だとか、若者の代弁だとか、そういう「共有される歌」ではなくて、聴く人それぞれの個人的な体験として彼女の歌は聴かれ、だからこそ、聴く人によってその記憶は全く違っている。だからこそ、どこかの誰かが嗅いだ校庭の匂いと、彼女の歌が直結していたってよかった。その誰かにとってはそれだけが事実なんだから。私にとっては、小学校の友達とおこづかいを出しあって行ったカラオケルームだとか、自然学校のバス。大人もたくさん、彼女の歌を聴いていただろうけれど、それは私には関係がなかった。私はまだ反抗期ではなかったし、ひとりぼっちで音楽にすがることもなかった。自分のどこかに穴があいていて、それを埋めるために必要とした音楽ではなくて、周りを彩る花みたいに、あらわれた音楽だった。まるでそういった季節が訪れたのだという、そんな必然性と共に耳にした。だからこそ私は、その時見ていた運動靴だとかランドセルとともに彼女の歌を記憶した。同じ瞬間、みんながみんな違うものとともに、彼女の歌を記憶した、というのは、なんだろう、とんでもなくポップだと思う。そのバラバラかげんが、むしろその「ポップ」の強度を示しているように思う。おもしろいよね、ポップなのに、その消費自体はだれとも共有されず、極めて個人的な形で行われる。他人がどう聞いているかなんて、どんなことはどうだってよかったし、私にとって歌を消費する上では、彼女の人生すらどうだってよかった。
   
私は彼女の歌をとても好きになったけれど、彼女に詳しくなりたいとは思わなかった。彼女はただどこかで生活をして、そして歌を作って、それを私が手に取っている。彼女の中で歌はたぶん、人生と密接しているんだろう、と思う。彼女のそのときそのときのことを歌っている。それなのに、私は彼女の人生まで歌を通じて消費したいと思わなかった。彼女の歌は、私の子供時代とどこまでもくっついていて、私にとってはどこまでも、私の人生の一部でしかなかった。彼女自身すら関係がなかったんだ。友人にどんなに親しみを感じても、友人が自ら告白しない限り、彼女に起きた不幸や幸福をわざわざ知りたいと思わないことによく似ている。変な話だけれど、友達だろうが家族だろうが、他人という存在を、自分の人生の一部分としてしか人は把握することができない。自分と対等の存在に見ることは、本当の意味ではできるわけがない。だから、利己的で身勝手な消費に彼らを晒し続けるしかなく、せめて、彼らが喜ばない形で消費することのないよう、気を配らなければならなかった。彼らが望まない限り、彼らの何かを知りたいと望むことは愛があろうが優しさがあろうが傲慢でしかない。ともに映画を見ることや、食事をすることや、そこで自分が話したいこと、相手が話したいことを、交換していく、それだけでよかったし、それが最上でなければならなかった。それ以上を望んだ瞬間、簡単に相手の尊厳を踏み潰してしまうのだということ。そんな危うさ。それは、作者の人生が染み付いた作品に触れるときにもあるとおもっていて、それでも、宇多田ヒカルの曲に対して、その背景を知りたいと思うことはなかった。彼女の歌は、たとえ実際には彼女の人生そのものであったとしても、私にとっては私の人生の一部分でしかなく、あまりにも深く深くそこに根付いているため、彼女のことすら、どうだっていい、関係ないと思えてしまっていた。
   
他人と接することは、結局人生と人生がすれ違っていくことでしかなくて、そこへの干渉はできないから、触れてきた全てを自分の人生の一部として大切に保存していくしかない。宇多田ヒカルは子供の頃の私にとって本当に離れた、遠い遠い存在で、ライブのチケットだって取れなかったし、テレビでやっている宇多田ヒカルのワイドショー的な情報もよくわからなかった。彼女の年齢をショッキングに思うような年齢じゃなかったし(私の方がはるかに年下だったから)、両親のことだって世代的に知らないし、インターナショナルスクールなんて知ったこっちゃない。それでも私の人生の一部として彼女の歌は残った。すれ違ったんだ、と思う。「歌の力」「音楽の力」みたいなものがあるのかどうかなんて知らないし、そんな大げさな物言い、好きじゃないけれど、でももし、そんなものが存在するなら、すれ違えたというそのことこそが、「歌の力」がくれた奇跡だったんだと思う。
   
   
    
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