世界に夢中

もし十代の時にこの作品に出会っていたらどうなっていただろうと思うことは結構あって、そういうのを私はパラレル青春を増やす行為だと思っている。20代になってからテクノが好きになって、KENISHIやら石野卓球やら聴き漁ったけれど、これがもう少し前だったら、とは当時思った。ばかみたいに影響を受けただろうしだからこそ、実際に十代で受けた別の作品からの影響は失っていたかもしれない。私はBLANKEY JET CITY(どうでもいいけれど最近は予測変換のせいで「ブランキー」ってうっただけで正式名称が出てきて、べつにまちがっちゃいないからそのままにするけどなんか違和感がある。話し言葉であるのに表記が正式名称とはこれいかに。)とかはっぴいえんどとかに影響を受けて、だからこそ歌詞がすきになり言葉ってかっこいいと思うようになり、この仕事をやっているけれど、テクノに十代で直撃していたら書く仕事をしていなかったのかしら、とか思うよね。世の中には天才なんて山のようにいて、たぶんどんなにアンテナを鋭くしても全員の作品と出会って死ぬなんて不可能だから、結局自分の青春がどういう形になったのかというのは、まぐれでしかないのだろう。えーっとじゃあ、現時点でこういう人生あゆんでいるっていうのも相当な偶然によるものだろうな。私は私というものがこの世で一番不確定的だと思っている。
       
人間はスライムみたいな存在で、入れる容器がかわれば形を変えるし、だからこそその形そのものに対する評価や悪意は本人にはなんの関係もなくて、なんなら本人がそこに誇りを持つことすら意味がないんだろうと思う。青春というのは最初に入れられる容器だったのかもしれず、私はそこで一つの形を知ったけれど、でもそれは私そのものではなかった。はずだ。たしかにその容器を選んだのは自分で、その容器を引き寄せるよう行動していたのは自分だろう。でも、容器は、プラスチックかなんかで出来ていて私と同じスライムではない。十代のわたしは世界に対して図々しくて、ホントつまんないものばっかりだと思ってたし、ホントつまんないものばっかりだなと思っていたからこそ好きになれた音楽を、「これが全てだ」と信じてしまった。これ以上好きなものに出会うこともないだろうし、世界はこのままつまんなくて、この音楽だけが素晴らしいのだと思ってしまった。だからこそ、その出会いが作ってくれた容器も、「一生もの」だと思ってしまったんだ。この音楽が好きだという、そのことが私が形作るだろうと思った。そんなの、勘違いでしかないんだけれど、そしてそれは薄々わかっていたんだけれど。それでも私はそれ以外に何かを見つけられる気がしなくて、なにより、「何が好きか」という情報を交換することがコミュニケーションであるみたいにこの世界では捉えられていて、だったらもうこれでいいや、とどこか投げやりに考えていた。なにより、好きだったしね。あの盲目的な感じ、私はもはやどんなものに出会っても味わうことができないんだろう。十代の時に出会ってみたかった、と好きな作品を見つけるたびに思うのは、要するに「たったひとつ!」と信じられたのはあの時、あの瞬間で最後だったからだ。年を経れば案外、好きなものは増えるんだということに気づいてしまうし、天才もあちこちにいるんだと知ってしまう。あのときの「もうこれでいいや」というのは大間違いだったともわかる。世界にたったひとつあいた穴を見つけたような、そんなぞっとする感覚はもう、永遠に味わうことができない。
   
好きなものによって自分が作り上げられるというのは全く嘘だ。人間は人間でしかないし、他者の作品が自分の代わりに手足を動かすなんてことはない。なにより、第三者が見る「自分」が、好きなものの寄せ集めでしかないならば、私自身がそこにいる意味がまったくないともわかっていた。でも、それでもいいや、それぐらい好きだ、と思ったあの瞬間、それを否定はしたくない。あのとき、私は自分を全部賭けてしまおうと思った。けれどなにかがどうしても気持ちが悪くて、私はいつのまにか、もっとたくさんの好きなものを見つけたいと、いろんな音楽を聴き漁るようになっていた。なんにも世界に期待してなかったのに、気づくと、自分が自分であるために、世界に無限に期待するようになっていました。なにもかもつまんなかったから、自分のあり方にも「まあこれでいいや」なんて言えたのかもしれないな、と今は思う。盲目的になれて良かった。世界が思ったより複雑で、自分が思ったよりも自分のことを大切にしているんだと気づけたのは、確実に、あの時間があったから。