「詩」は恥ずかしいのか?

詩は恥ずかしいのか、という話をマツコさんと有吉さんの番組でやっていて、詩が恥ずかしいとか歌詞は恥ずかしくないとかそういうことではなくて、それを書く人次第でしょ、というのがマツコさんの意見だった。私は詩人をやっていて、詩でごはんをたべているけれど、詩を恥ずかしいと思ったことは正直なくて、「詩人です」と自己紹介するのもなんとも思わないんだけれど、しかし「恥ずかしい」と思われる可能性はよく知っている。「詩人」を社会から浮いた存在にしてしまっているのはなんなんだろうな、とは時々思う。
言葉というのは誰にも書けて、だからこそ誰でも「書く」ということを笑ってしまえる、という空気はたぶんあるよね。詩人という仕事だけではなくて、言葉を書くということを仕事にする時点で、やっぱりどこかそうした空気には触れることがある。で、それは恥ずかしいことだからとかそういうことではなく、それぐらいその人たちの心に近い部分、生活に近い部分を仕事にしているのだ、ということなんだと思うし、それはむしろ緊張感が増してうれしくはありませんか。素人の人がプロの歌手の前でその人の持ち歌を歌うとか、プロの前でその人のギターとかドラムを完コピするとか、そういう映像やらをみるたびとんでもない状況だな、とは思うけど、でもそういうこと私もいつもやっているんだろうなあ。人間はほとんど全員がプロの言葉使いであり、そしてその前で私は言葉を書いて、言葉を売ろうとしている。「そんな言葉、誰も買いませんよ」って、どんなジャンルよりも一番、みんな言いやすいだろうとは思う。
   
そういう場にきてしまったことは、偶然でしかないのです。絵でも音楽でもよかったはずなんですけれど(なんて思うのは傲慢なことなんですが)、でも結果として私は言葉の世界にいて、言葉で仕事をしている。文才とかいう言葉もあるけれど、文が人を選んだりはしない。言葉のみに優れた人なんているわけがなくて、偶然その場に来てしまったからこそ、言葉を研ぐことになったからこそ、能力が、技術が、目覚めていったという人がほとんどだろうとおもう(私はまだまだですけどね!)。言葉に選ばれた人なんていない。言葉を選んだ人しかいない。私はだからこそこうやって笑われること、恥ずかしいことだと言われることが、他のジャンルより頻繁に起こるのだという、そのことが幸運だったと思っている。尊いもの、自分にはできないものと思って作品を見つめられるなんて嫌だった。距離を置かれるみたいで嫌だった。生々しいまま、生々しい感覚にぶつけていたい。私はたぶん、受け手の心の中心に向かう、最短距離の道をもらっていて、そこに直球を投げるだけだからこそ、相手からも直球の「恥ずかしい」とかいう言葉が返ってくるのだ。どんどん返って来たらいいと思う。どんどんきみの生々しいところを見せてくれ、「恥ずかしい」と言われることも私の仕事だ、そこに向かって言葉を書くのが私の仕事。好きなだけ、好きなこと、言えばいいのだ。そうじゃなきゃ「なんかいいね「なんか好きだ」って言われた日に喜べない。きみの、生々しいところに真正面から向き合っていたい。
    


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言葉は悪人になったほうが書きやすい

言葉は悪人になったほうが書きやすいと思う。炎上だなんてものがあるけれど、それは書き終わったあとの話で、書くときの居心地の良さは善人として言葉を紡ぐときよりずっといい。もちろん私が私として語るのが一番よくて、悪人にも善人にもなりたくはないけれど、文脈によってはそのどちらかを選択せざるをえなくなるときがある。人に何かを説得するときの文章なんてまさにそうだ。あなたが正しい、と言われたいがために、言葉で私を善人に見せかける。

ああさみしいな、つらいな、こういうときこそ、言葉は凶器だと思う。私は私を殺して「善人さん」を作っているだけだ。私を、守ろうとするときに、書く言葉こそ凶器だと思う。私は私のことがどうだっていいときじゃないと、きっと自分で好きになれる言葉は書けないんだろう。どうして、言葉で交渉しなくちゃいけないのか、相手の非を追及しなくちゃいけないのか。たぶん、書くことを仕事にしているからなんだけれど、強度を強度としてつかおうとしたとき、私は一気に言葉を書くことが嫌いになる。
それでも言わなきゃいけないことがあるときもあり、むしろほとんどのひとが、この苦痛を感じていて、それでも善人になる必要があるというその悲しみに沈んでいる(はずだ)。善人としてふるまう人の姿はいつだって痛ましい。私にはそう見えてしまう。それほどに他者に傷つけられたということだ、そう、善人として書かれた言葉を読んでいるといたたまれなくなる。この人だって、本当はもっと利己的なことを言ったりわめいたりしたかったんじゃないかと考えて、そんな自然な振る舞いすらできないほどその人が追い詰められていることを悲しく思う。(実際はわかりません。みんな、私よりずっと心がきれいなだけかもしれない。)

本当ならきれいなこと、正しいことも欲望として語ることができたはずだ。こどものころはそうだった。それがいちばん気持ちいいから、大切にしたい、というそれだけだった。でも今はもっと、利己的な部分があって、正しさやきれいなことだけで自分が満たされるとは思っていない。要するにあんまり善人じゃないんだよなあ、これは私だけかもしれないけど。だからこそ、冷静に語れだとか、論理的に話せだとか、そういうことを強いられるともうほんと勘弁してほしいと思う。だれかを説得するために、正義を手に入れるために、言葉を使うのが苦痛でしかない。善人として言葉を選ぶたび、私から言葉が剥がれて、ただの理屈の装置となるのがわかる。私はその理屈100%で生きてないのにな、と痛くなる。たしかに強力だけれど、それは私を守ってはくれるけれど、私は、善人になることで、私そのものを殺してしまっている、そんなことも同時に思う。


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ネットがあるなら、共感はいらない。

人と人との関係に共感はそこまで重要だろうかと思う。他人は全く違う人生を生きて、わかるわけもないことを考えているからこそ、私は私でありあなたはあなたであるということを、大切にできる気がしている。もっと、相手がそこにいること、そのこと自体を愛おしく思えるようになれたらいい、そんな感覚で満たされたらいいとずっとずっと思っている。
   
たぶん私が詩を書いているのはそうした気持ちが強いからだろう。共感されることを期待して書いてはいない。そして、それはブログも同じ。私にとってネットというのは、同時代に暮らしている人たちとたくさんすれちがえるところで、なにも語り合わなくても、確認なんてしなくても、彼らとはとっくにたくさんのものを共有していると思っている。私たちはたまごっちを知っている。宇多田ヒカルの声を知っている、最新ニュースも地震速報も共有している。だから、「一般常識とは違う」「共感されない」ということが、互いの理解の障壁にはならないと思っている。信じている。価値観が違っていても、望むものが違っていても、相手の言葉を「自分と同じ場所にいる人の言葉」として受け入れることが、できるはずだ。わかりあうなんていうものより、それはきっと尊いはずだ。だから「共感できない」と言われることが怖いと思ったことはなかった。逆に共感されることもあって、それは不思議だし、とにかく、どちらにしたって幸せなことだ。読んで、なんかおもしろいなと思ってもらえたならそれはもう十分なこと。私は生きていて、あなたも生きていますね。ブログが本になることで、もっといろんな人にこの感覚が伝わったら幸せだなあ、どうだろうなあ、と考えたりする。私は私であり、あなたはあなたであるということ、それだけのことをそのまま、形にしていきたいです。
    
よかったらブログの本、読んでみてください。発売は来月27日です。
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今日も、あの歌は歌われる。

Mステで結成20周年だとかでくるりが「東京」を歌っていた。私はもう大人になっていた。テレビをつけっぱなしにする癖がもうとっくになくなっていて、だからくるりのタイミングを狙ってテレビをつけた。はじめて「東京」を聞いたのは15年ぐらい前かな、なんてことを思う。くるりはその日オリジナルメンバーで、それ自体が久しぶりのことだった。20年ぐらい前の曲が、今Mステで初披露されていて、たぶん女子高生ぐらいの子が「エモい」っていっているのをツイッターで見かける。エモいなんて言葉、当時はなかったよなあ。私が「東京」をいい曲だなあ、と思ったのは15年前で、そのとき、東京のことなんてよく知らなかったし、多分当時の「東京」を私は知ることができない。上京するということもどういうことなのかわかっていなかった。だからなんで、「いい曲だなあ」と思ったのかは正直なところわからない。
   
東京という街は特別だ。私は具体的な地名を詩に書くのは好きじゃなくて、それは読む人が知らない土地だとそこでイメージが止まるからだった。でも、東京は知らなくても、知らないという事実がまた別の意味で特別ななにかをもたらす。私はまだ学生だったし、将来のことを考えてこわくなったりもしなかった。よくわからないけれどとりあえずまだまにあう、なんてことを思っていた。そんな私が見ていた「東京」という場所は、たぶん今見ていたものとは違っていて、そしてこの歌で歌われている「東京」とも違っていて、そのずれをうめるようにしてメロディーが流れていたのだろう。Mステで15年後、「東京」の演奏を見て、思ったことは、ただただ、私も、くるりも、それからきっと音楽ですら、時間を止めることはできない。みんなみんな老いていくのだということ。完成した作品ですら、時間がたてば変わっていくんだ。いまこのときに聴いた「東京」はたぶん誰かが言ったように「エモい曲」で、そしてその東京にはポケモンがいて、iPhone7が予約開始されて、カープが25年ぶりに優勝し、そして4年後にはオリンピックがやってくる。東京という言葉にはもうそれらがしみついて、15年前の「東京」なんて必死で掘り起こさなきゃ見つからないだろう。そして、だからなんとなく、今の私が、今のくるりが、今の「東京」を歌っているその姿を見ている、というそのことが素晴らしいと思えた。なにもかもがもう一度「現在」に生まれ変わったようだ。懐かしさでも思い出でもなく、「今」として。すべてが追いついた、そんな感覚に襲われていた。
   
Mステのあと、アルバム「さよならストレンジャー」をとりだして「東京」を聴いたんだけれど、予想外に「あれ?」って声が漏れてしまった。Mステで見た演奏は当時のすべてが蘇る感覚だったのに、その演奏とアルバムの「東京」はなんだか全く違っていた。いいとか悪いとかじゃなくて、ただただ違った。Mステで見て、「わーあの時きいてた「東京」そのまんまだ!」なんて思って、だからこそ15年前に聴いたアルバムひっぱりだしたっていうのに、そこにあった「東京」はMステの「東京」とは違う響き方をしていた。よく考えたら全然ちがう。録画したのを見てもやっぱりちがう。どうして、そのまんまだとか思ったんだろう。思い返してみれば、別にこの15年間一度も「東京」を聞かなかったわけじゃない。ときどきはこのアルバムをきいていたはずで、そのときに一度も「蘇る」感覚にはならなかったな。懐かしいと思ったし、思い出の曲として触れていた。過去を切り離して、「現在」だけのものとしてはどうしても聴くことができなかったんだ。アルバムの「東京」はもう私にとっては「過去」でしかないのかなあ。昔のくるりが、昔の「東京」を歌うのを、今の私が聴く。この時間の差を埋めるために、どうしたって懐かしさや、思い出が頭の中に浮かんでしまう。それも悪いことではないよ。十代の自分の気配がする。でも、やっぱり、はじめて「東京」を聴いた時の私とは全く違う聴き方をしている。
   
作品は完成したらそれで終わりのような気もして、時間が止まるような気もして、でも本当はそんなことないんだろうなあ。変わらない気がして、むしろ変わらないでいて欲しいとすら思って、当時のCDを大切に聴いて、昔のライブ映像とか見たりして。でも、やっぱり作品だって歳をとっていく、あの時代のあのころの気持ちを冷凍保存するような、そんな寂しい役割しか担っていないわけじゃない。なんとなく、同じ時代に好きなアーティストが生きていることの幸福を思った。過去としてではなくて、歳をとった今の作品に触れて、変わってしまったというのに、変わってしまったからこそ、もう一度自分と出会い直してくれる作品のすばらしさを思った。全員昔とは違う。作品も違うけれど、それでも、私はあの時と同じような鮮烈さで出会い直しているはずだ。15年前のあのとき、「東京」を聴いて「いいな」と思った私の気持ちにはもうなれない。でもそれはさみしいことではないよ。くるりはまだ歌っているし、私はまだ生きている。「東京」の街はまだそこにあって、これからもあって、そして、過去の私には今の私が、今の「東京」を聴いて、どう思うかなんて想像もできないだろう。分かり合えないし、互いに、忘れていくけれど、それは「今」として生きている証拠だとすら思っている。
   
   
(追伸。ブログが書籍化することが決まりました。秋に出ますのでよろしくおねがいいたします。)

「若さ以外の強さを探している」

棋士の羽生さんがとあるテレビ番組で、「若さ以外の強さを探している」みたいなことを言っていて、「若さ」というものについて人がどのように捉えているのか聞いてみたいとは思った。以前穂村弘さんとユリイカで対談した時に、青春のまぼろしを書いていました、と私は昔書いた短歌について話していて、穂村さんが青春はだんだんと人生に負けてしまう、みたいなことを言っていたのが衝撃だった。いや、そうなんだろうな、とは思っていたんだけど。そうなるのが人間だろうな、と思うのだけれど。そしてだからこそ「若さ以外」を求めるようになっていくのだろうし(羽生さんの発言に対しては今田耕司さんがすごく共感していたのが興味深かった。やっぱり若さって大きな武器であり、壁ですよね)。私が衝撃だったのはそのことを穂村さんがさらりと言ったということだ。「若さ」というものを失うのって私はこわいっていうか、それ失ってまで書くかな、どうだろ、っていう気すらしているからか、そうあっさり言った穂村さんのそのドライなかんじが衝撃的だった。
    
そもそも若さが人生に負けていくとはどういうことだろう。穂村さんは若い時には病気も財産も地位も名誉もなくて、あるのが未来へのまぼろしだけだから、それだけだからこそまぼろしが真実になる、とおっしゃっていた。生きていくことで、「人生」が重みを持ち、まぼろしに勝っていくのだと。青春のまぼろしを私は、ときどき本当にただの「ゆめ」だったのではないかと思う時がある。私たちはもしかしたら若い間は、人ではないのかもしれない。命ではないのかもしれない。人生ではないものの中にいたのかもしれない。かもしれないっていうか、たぶんそうだったのだ。私は自分があのころまともな人間として呼吸をしていたようには思えない。まぼろしという言葉を対談のときに選んだのは直感だったけれど、でもたしかにまぼろしと現実のまんなかに立っていて、そしてそこで両方のものを同時に見ることでなんとかバランスを取っていたのだ。両生類みたいなもの? 私はあのころのことを愛しているとか気軽に言えない。あれは私ではない、ぐらいに思ってやらなきゃ、当時の私が怒るだろう。
「若さ以外の強さを探している」と言っていた羽生さんは、ひたすら読んでいく若い強さから、空から鳥が全体を見下ろすような大局観に変わっていったと説明をしていた。「若さ」とは一体何なのか、そしてそれに代わるものとはなんなのか、という話はその人がなにに向かっているかによってもちがうだろう。穂村さんとの会話は、「短歌は生活(人生)を描くものなのですか?」という私の問いから派生して出た話であり、だからこそ短歌における「人生」が「若さ」に相対するものとして現れた。私は自分の人生が作品に影響するとはそんなに思っていないので(世界が作っている言葉の渦みたいなものの方がずっと影響を与えている)、人生と若さが対立構造だとは実はそんなに思っていない。ただ若さとは「凡庸」さを担保してくれるものだとは思っている。作品というのは100%前衛だったら、たぶん届いていかないような気がしていて(届くことがいいことなのかは別問題だけど)、どこかに凡庸な部分があって、それが入り口になるんじゃないかと思っている。で、その「凡庸さ」を担保してくれる一種が「若さ」なんじゃないかな、って。私は10代の頃、どんなにぐちゃぐちゃで混乱したものを作っても、若さという高熱がそこにあるあいだはちゃんと伝わっていくような気がしていた。信じていた。若さや青春というのは人間の脳のほとんどに備わっている感性の一種だと思う。大人になればみんなばらばらになるし、AさんがぴんときてもBさんはちっともわからない、みたいなことが当たり前に起こり得るけれど、「若さ」は現実に作用しないから、まぼろしのものだから、他に比べればずっと、共通のところも多いはず。混沌とした作品のなかで燃えている青春のまぼろしみたいなものにぶつかったとき、わけがわからないけれどぐらぐらと心が揺れるような感覚は、多くの人にとって覚えがあるんじゃないかなって、勝手に思っていた。たとえ作品の輪郭がどろどろに溶けてしまうほどの高熱に晒しても、その熱が「若さ」によってできている限りは大丈夫。そういう点での「若さ」の強さを私は見ていて、だからこそそれを失うって恐ろしいよね、とも思っていた。
   
しかし若さを失うということが、退化でも、進化でもないのは確かなことで、それがただの「変化」だと受け入れたときこそ、「若さ」以外のものを手に入れたと言えるのかもしれない。穂村さんの淡々とした「若さ」への態度はなんとなくそういうことを予感させた。私は若さを失うなら、失うというそのことを生々しくどこまでもリアルに感じ取っていたいし、自覚し続けたい。目をそらすのはいやだよね。終わってるよね。っていうかつまんないよね。鋭さだけでは動けなくなっている、というその自覚を冷静に受け入れ続ける、という姿は、鋭さだけで動いていた頃よりずっとずっと鋭いのでは? なんてね。でも、実際私はそこまで強くあれるかな〜。なんだかんだで早く、どうなるか見てみたかったりもする。
   

さみしさの稲穂

この時期は暑さはましになったというのに、あるきまわるとどぼどぼ汗が出てきて、冷たい缶コーヒーにでもなったような気がする。食べ物の話をいくらでもしたい日と、ほんとうにそういうのはどうでもいいです、という気持ちになる時があって、今日は後者。食事への欲求がほとんどゼロになっている。
人間が食べることに完全に興味を失うっていうことがこれから先は起こり得るんだろうか。私たちは基本的に高カロリーなものをおいしいとおもうし、それは要するにオールタイム飢餓状態だった原始時代とかの名残だと思うんだけれど、しかし今は高カロリーの方が体に悪い。状況が欲望と矛盾し始めていて、だからこそそれに順応して未来人は低カロリーを愛するように、つまりハンバーガーもラーメンも焼肉もケーキもパフェもまずいと思うのかもしれないな。もしくはただ高カロリーへの偏愛で短命になっていくんだろうか。こんなに肥満が問題になっているのにやっぱり高カロリーを美味しいと思ってしまう現代。昔に備わった欲求だけは永遠に、その種族とともにありつづけるのかもしれない。そしてだとしたら豊かになればなるほど、欲望に殺されていくのかな。なんだろうなこの話。そっちのほうがきになるなあ。
    
とにかくひとりぼっちだった、友人だとか大人だとかいう他者が周りにいて、それによって感じるひとりぼっちではなくて、本当の意味で、宇宙に放り出された有機体のようにひとりぼっちだったのだ、という話は、谷川俊太郎さんの「20億光年の孤独」やその同時期の作品について、谷川さんと山田馨さんが共著『ぼくはこうやって詩を書いてきた』で語っていたことで、読んでいて「セカイ系とよばれる孤独と、それはよく似ているな」なんてことを思った。というか「セカイ系」なんてことばは後からやってきただけで、私たちは具体的な人間関係で自分を捉えるよりも先に、もっと曖昧な「他」というもの「宇宙」というものに対して孤独や焦りをかんじてきた。小さな頃目を閉じて、世界中が急速に変化して通り過ぎるのを想像すると必ずぞっとして、それがなぜか「怖いもの見たさ」みたいになり癖になったのを思い出す。自分が自分から引き剥がされて、まったくどこにもいないような気がする。それは私には孤独というより、「解放」ってかんじだったのだけれど。で、たぶんそう思えたのは私がひどく幼かったからだろう。
   
4歳ぐらい。たぶん、自意識もはっきりしない。自分を愛するのはまだ先だった。世界の方が自分よりずっと具体的で、自我はドーナツの穴みたいなものだった。そのことにまだ不満がなかった。でも年がたてば次第に自己愛がそだって、世界との対立構造が生まれ、世界に対する孤独というのが生じるし、そこから世界の具体的な要素(クラスメイトや先生)が自分と関わりを持ち、もっと具体的な孤独へと発展していく。冒頭部とのつじつまあわせではないけれど原始時代の話を持ち出してみれば、きっと当時は当時で大地や海や風が自分たちを無視して蠢いていることへの「孤独」があっただろうなと想像ができる。自分を起点にして物事が動いていてほしい、という欲望はずっと昔からあったってことだろうか。でもそれは、自分の肉体が世界の観測者として存在する限りは逃れられないよね。自分の目の高さでしか、世界を見ることはできないし。そして、たぶん「さみしさ」という感情は生まれたその瞬間から、体のどこかにそっと紛れ込んでいるのだろうと思う。何かが起きて新たに生じるのではなくて、ただずっとそこにはあるんだと思う。わけもなくさみしい、という感覚が、わがままだとはどうしても思えず、弱さだとも思えず、さみしいと思った時、それはただ、体のどこかに最初から群生していた稲穂みたいなさみしさが、ちょっとしたことで、そよかぜで、揺れてしまったというだけなんじゃないかなあ。ぼんやり。
    

後天的子供

私は考えるのが苦手で、何か考えようとか、思おう、とか、しようとしても空洞の中に空気が通るようなあんなじーんという音しかならず、でも言葉を書こうとすると言葉が代わりにかんがえたりおもったりしてくれて、まるで私が感受性豊か、みたいな錯覚をさせてくれるので好きなんです。絵の具とかも、あって、ぬりたくれば鮮やかなものが見えてきて、たとえ想像力がなくても手を動かせばカラフルなものが見えてくるというの、本当に魔法だと思うし、言葉もたぶんそういうのに近い。粘土とか絵の具みたいに小さな子が気軽にそれで「遊ぶ」っていう習慣はなかなかないけど、歌とかがそーいうのを助けてるのかもしれない。言葉を書くっていうことがもっともっとみんなの身近な遊びになればいいのになあ。非常に勝手なことかもしれないが時々そんなことを思う。
文章を書いてそれでお金をもらっているけれど、結局言葉は私のものでは決してないし、みんなが所有しているものを借りてきているだけのような気もしてちょっと不思議な気がしている。「愛」という言葉にしても、辞書的な意味よりも、たぶん私は個人個人がその言葉に対して抱いている印象だとか、そういうものを引き出すためにその言葉を使っていて、言葉を書くことで思考がやっと動き出す感覚はいろんな人が生きているというその事実に身を委ねさせてもらっているからなのかもね。
こういう話はたぶんおもしろくないからこのへんでやめる。話は変わるけれど、子供のときに私が書いたり作ったりしたものはことごとく凡庸で、お行儀が良いとしか思えないものがおおい。宿題だとかそういう形ではなくて落書き帳に書き散らかしているもののほうがまだなんとなく、へーこんなこと考えたんだなんて思う部分もあって、いやそれでもなんていうか不器用だなあ、とはなる。そもそも自由になるということがいいことだと思っていなかった。子供が幼いからっていちばん自由気ままであるかといえばそうでもないんだろうな。子供の方がずっと周りの空気を読む必要性にかられている。だってかわいがってもらえなきゃ死ぬって常に追い詰められている立場じゃないですか。
   
社会のことを必死で意識してなんとか守ってもらおうとしてしまうことが、じつはいちばんの「子供らしさ」だと思うし、いまそういうのが私にはない、とも思う。もう友達なんていらん、信頼なんて知らん、社交辞令なんてむずい、ねむいときはねる、たべたいときはたべる、みたいな大人になってしまったのでそういうことを思う。これは自分で自分の面倒が見れるようになったからとかそういう立派な話ではなくて、もっと情けない話、「生きねば」「育たねば」という欲求が低下しちゃったからじゃないかと思う。死ぬということや見放されるということが無性にこわかった子供の頃に比べると、いろいろわかったつもりになってしまった(あくまで「つもり」)というのが今の自分で、それだからこんなに身勝手になったのかもしれない。世界なんて大したことない、とかって、しがみつかなくなったのかもしれない。昔は、図工だって授業だし、作るっていうのは課題だし。一生懸命言われた通りにやろうとして、それでいて褒められるのは「自由奔放な子供たちによる作品」であるという事実がショックだったように思う。学んでなんとかなるものではないし、要するに素材として私はもう失敗作の子供なのでは? と思ってしまったのかな。覚えてないけど。だからか今、スーパーだとかで似顔絵を上手にきっちり書いている子供の絵を見ると、胸の中がざわざわする。みんな、さっさとこの世界を見放してもOKなんだって気付けるといいよね、と思うのだ。子供がかわいいのは、たぶん、世界にたいして期待しちゃっているからなんだろうな。