「詩」は恥ずかしいのか?

詩は恥ずかしいのか、という話をマツコさんと有吉さんの番組でやっていて、詩が恥ずかしいとか歌詞は恥ずかしくないとかそういうことではなくて、それを書く人次第でしょ、というのがマツコさんの意見だった。私は詩人をやっていて、詩でごはんをたべている…

言葉は悪人になったほうが書きやすい

言葉は悪人になったほうが書きやすいと思う。炎上だなんてものがあるけれど、それは書き終わったあとの話で、書くときの居心地の良さは善人として言葉を紡ぐときよりずっといい。もちろん私が私として語るのが一番よくて、悪人にも善人にもなりたくはないけ…

ネットがあるなら、共感はいらない。

人と人との関係に共感はそこまで重要だろうかと思う。他人は全く違う人生を生きて、わかるわけもないことを考えているからこそ、私は私でありあなたはあなたであるということを、大切にできる気がしている。もっと、相手がそこにいること、そのこと自体を愛…

今日も、あの歌は歌われる。

Mステで結成20周年だとかでくるりが「東京」を歌っていた。私はもう大人になっていた。テレビをつけっぱなしにする癖がもうとっくになくなっていて、だからくるりのタイミングを狙ってテレビをつけた。はじめて「東京」を聞いたのは15年ぐらい前かな、な…

「若さ以外の強さを探している」

棋士の羽生さんがとあるテレビ番組で、「若さ以外の強さを探している」みたいなことを言っていて、「若さ」というものについて人がどのように捉えているのか聞いてみたいとは思った。以前穂村弘さんとユリイカで対談した時に、青春のまぼろしを書いていまし…

さみしさの稲穂

この時期は暑さはましになったというのに、あるきまわるとどぼどぼ汗が出てきて、冷たい缶コーヒーにでもなったような気がする。食べ物の話をいくらでもしたい日と、ほんとうにそういうのはどうでもいいです、という気持ちになる時があって、今日は後者。食…

後天的子供

私は考えるのが苦手で、何か考えようとか、思おう、とか、しようとしても空洞の中に空気が通るようなあんなじーんという音しかならず、でも言葉を書こうとすると言葉が代わりにかんがえたりおもったりしてくれて、まるで私が感受性豊か、みたいな錯覚をさせ…

かわいいひとたち

うれしいこと。最新詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が映画化されます。来年春公開です。監督・脚本は「舟を編む」の石井裕也さん、主演は石橋静河さん・池松壮亮さんです。昨日ちょうどテレビで池松さんがつるべさんとお話ししていて「わ、わー」と…

「坂本龍馬を斬った刀」

「坂本龍馬を斬った刀」が京都に展示されているそうで、これはなんだ、すごいな、と思う。たとえば数日前に起こった殺人事件で使われた凶器が展示されるなんてまあないだろうし、いろんなところから異論が噴出するだろうし、そのあたりですっかり坂本龍馬の…

私をきみの黒歴史にして。

わからなくなりたい。あのころ大好きだった映画や音楽や本が、今見るとどうしていいと思ったのかちっともわからない、みたいなことが溢れるような人生でありたい。おいしいとおもっていたファーストフードが受け入れられなくなったり、逆にあのころ大嫌いだ…

オリンピックが今年も。

スポーツ。 オリンピック見ていますか。私はほとんど見ていないんですけれど、それでもやっぱり勝った負けたの話は飛び込んでくるし、すごいな、と思うことも多い。スポーツのこと、詳しいわけではないし、そもそも好きになったこともないのに、こうやって気…

世界に夢中

もし十代の時にこの作品に出会っていたらどうなっていただろうと思うことは結構あって、そういうのを私はパラレル青春を増やす行為だと思っている。20代になってからテクノが好きになって、KENISHIやら石野卓球やら聴き漁ったけれど、これがもう少し前だっ…

さみしくなりたい。

浅い関係でいてくださいと、願うようなこともある。共有するのは感情だとか苦労だとか不幸だとかよりも、お天気や食べたケーキがおいしいことだったり、そういう他愛もないものであってほしいと思っている。人間が複数いる限り、私たちは「私たち」にはなれ…

宇多田ヒカルのこと

私は宇多田ヒカルのことをちゃんと、一度書いておくべきだ。appleTVのSiriに「宇多田ヒカルをかけて」と伝えて、それから5分後に急にそう思った。宇多田ヒカルがデビューした時私は小学生だった。音楽なんてそんな詳しくなくて、ツタヤというシステムもまだ…

友達はいらない

7月は小学校の時の友達の誕生月で、ふとした時に思い出すけれど、その子とはすっかり縁が切れてしまっている。人とながく付き合うというのはそれだけでも大変なことで、奇跡だって言えるのかもしれないけれど、ぶつんと切れた縁だって、それはそれでいいも…

きみが友達との楽しい時間のために、ひねり出した悪意について。

本屋さんで友達同士っぽい3人組が、棚に並んだ漫画について悪態をついていく、というシーンを見てしまった。最初、「そんなに仲良しではないのかな? 10年ぶりにあったとか?」なんてことを思って、それからなんだか悲しくなった。悪意に対して耐性がない…

わたしは24時間

昔から詩を仕事という認識で書いているので、詩人という言葉の職業っぽくないかんじはなんかぴんとこない。私は食べるため着るため暮らすため、つまり主に洋服とチョコレートと家電のために原稿を書いている。普通のサラリーマンと同じ感覚なのに、「詩人」…

好きなものなんか。

自分の好きなものをひとに教えるということが、どうやっても好きになれなかった。なんでそんな個人的なことを話さなくちゃいけないのか、尋ねられると昔は苛立ちさえした。好きな音楽をプロフィール代わりに列挙することや、尊敬する人物を紹介することで自…

季節も私の一部分

季節の変わり目に化粧品売り場に行くことが、いつのまにか当たり前になっていた。 化粧品なんて顔を修正するためだけのものだと思っていた私には、しばらく、緑だとか黄色だとか真っ赤だとか、そういう本来なら顔にあるわけもないカラーをのせることが不気味…

すべてのヒトはちょっとフィクション

人生を狂わされているように見えるのか、それとも狂わせることすらその人自身の意思として見えるのか。スターみたいな人はたいてい、そのどちらかであるように思う。たとえばの話。編集さんとAKB48の話をかなり昔にした時に、前田のあっちゃんについて私は気…

まとめない尊敬

ひとを「尊敬」するという感覚はなかなか理解が難しいもので、私はなんとなく「すごい」と思うことが「尊敬」だと思っていたのだけれど、でもそれはあきらかにたどたどしい理解で、「尊敬」という言葉がこの世になかったのなら、絶対にそうは思わなかっただ…

ガーデニング不条理

優しくなりたいと思うより先に、丁寧になりたいと思うし、だからこそ、花とか草とか育てようとするんだろうな。草花に水をやる時の、あの慈愛でもなんでもない、でも、習慣だけではない、どこかにあるであろう特別な感情。それはなんだか人間の本質っぽくて…

地上はうるさい

満腹感がいつまでもとれない、あげくそれがちょっと不快であるようなそういう結果をもたらす食べ物はB級というかんじがして、食べ物らしくあれ、と強く思う。これはもう欲望を満たすためだけの装置と成り果てていないか。とかなんとか満腹でしんどい時は考え…

ちゃんと嫌われたい。

店員さんのマニュアル的対応がどうこうという話題はよくあって、私は別にそのあたりはさほど気にならないのですが、「マニュアル的なお客さん」になってしまいがちな自分に、よく憂鬱な気持ちになります。自分が接客アルバイトをした経験があるからなのかも…

「私の言葉」などこの世にはない。

人間が嫌いだというそういう感覚とは別で、私の要素のほとんどは他人との間に存在するものでしかない、という感覚もある。肉体というのは他者が私を認識するための目印であるし、私が見るもののほとんどは、他者も見ているものだ。この言語もそれと同じ。 読…

過去にないもの。

昔ロックというものに興味を持っていろんな名盤といわれるものを聴きまくって、ぜんぜんわからなくて、ぜんぜんわからんということにショックを受けていたんですがこれは私だけなんだろうか。感受性の問題なのかもしれないけれど、でもどんなジャンルにおい…

運動神経未完成的自我

人間ってなんであんなに俊敏なんだ、動けるんだ、と思っている。私はどうしても全身に神経がゆきとどいていないかんじがして、声だとか動きだとかがまったくコントロールできていない。ような不満感が常にあり、だからこそ私はものを作ることが楽しいのかも…

才能こわい

『祖父江慎+コズフィッシュ』を買った。かっこよすぎて、なんかもう傷ついた。才能は怖い、ということをここまではっきりと教えられるなんてそうそうない。祖父江慎さんのデザインワーク(2006年までの)がまとめられている1冊です。かっこいいし、傷…

幻のない部屋

大好きな作品を作った人がこの世から消えてしまうと、なんだかすべて幻だった気がしてしまう。でも、ちゃんと本棚にはその人が描いた本が残っていて、明日というものも残っていて、窓を開けたらまだちゃんと世界がある。 吉野朔実さんの作品にいつだって、く…

夜空と青と感情

私たちは孤独でなければいけないし、そのために毎日夜は来る。という説がある。頭の中に。星座の知識は残っていたって、それを星空から見つけることはなかなかできない。夜空はどんな解釈をしたっていいのだと、不思議と身勝手に考えることができる対象だ。…