全校生徒、来襲

1000って!全校生徒か!(ブクマ数にツッコミが入りました)ついったーのフォロワーまで増えて、ネットのひろがりんぐっぷりを目の当たりにしました。ありがとうございます。
役に立つというだけを絶対視することはなんとも貧しい、と思うのと同時に、個人的には将来役に立つかもよ、と科学の価値を書くのもなんかいやだと思っていました。はじめはテレビを見ていてちょっと抱いた違和感を日記として記そうと思って書き始めたため、科学に役に立つかどうか聞くってどうなん?という気持ちだけで書いていたのですが、書いていくうちに自分がいやだと思う気持ちを、貧しい感覚で平気な人たちに説明するためにはどこまで譲歩すればいいのか、という問題が浮かびました。おもしろいからいいじゃん、だとか、好奇心は止めることができない、とか、ほんとうの科学の動機を急にそういう人たちに説明しても通じない、だから、譲歩した説得案をいやだと思っても、少しずつ歩み寄るしかないと思ったのです。本当は、役に立つとかどうでもいいんだよおおお(バンバン!)とか言ってしまいたいものですが、世界的にも有名な先生方が本音ではそんなの俺の管轄外じゃ!ってかんじだろーに、自分の研究はこんなふうに役立つかもってアナウンサーさんに歩み寄り理解をもとめているのを見ると、私ごときが勝手なことはできないなあと黙るしかありません。例の番組でもヘビ界(なんぞそれ)で有名な先生が、ヘビは餌を丸呑みにして、食い溜めができる、その特徴を人間に適用できれば宇宙空間で活動するさい食い溜めができて便利、とか説明していて、「Oh、なんというこじつけ……」と思ったものです。単に子供のころからヘビが好きで、好きだから追ってきただけだろうに、ここまで大衆に歩み寄り、理解を求める役割まで負わねばならないとは負担が大きすぎないかと心配になります。ご本人たちは未来の研究が守られるためにも理解を求めていく活動をやるべきだと考え、学問に対する愛情でもって苦にも感じていないのかもしれませんが、第三者からすれば研究者には研究のことだけを考えていてもらいたいと思いますし、そうでいられるよう、理解を求めていく役目をまた別の人たちが担っていけるようになればいいのになーと思います。

にしても軽い日記のつもりで書いた文章がここまでたくさんの人に読んでもらえるとはちょっと予測していなかったなあ。不特定多数が見るのだなあとこういうとき改めて実感する。ネットも通常は特定の集合の中にいるもんね。なんだかんだで内輪ネタになるよね。それにッ慣れていたらッだめだッ