原始人は暮らさない街で。

防災してますか。私は、阪神淡路を直撃、さらに東北を東京で経験した立場なので、もはや地震は人生における「日常」という認識でおります。滞在する場所の築年数とかすごく気になる。非常口もすごく気になる。東北震災は、ちょうど日帰りで東京に行っていた時だったんですが、そもそも東京なんていう町に行くのに防災グッズ持っていかないという選択肢がなくて、カバンに防災グッズが普通に入っていました。周りに助けてもらえたので使わなかったけれど。とにかく言いたいのは、非日常ではないんですよ、地震は。絶対に起きるものなんです。沖縄の人にとって台風はもはや日常で、それと同じぐらい地震だって、備えて当然だと思っているんです。遭うんですよ、遭うときは遭うの。小学生の時阪神淡路に直撃して、ガラス全部割れてるし、怪我人がどんどん運ばれていくし、電車も動かないし、つまりこの場から逃げるわけにもいかないし、本当地獄だと思ったけれど、でもそれは現実だったし、今でもあれが夢だったのだと気づくことはないし、今だってあれは現実なのだ。起きたものは起きたし、いまだに後遺症がある人だってたくさんいるし、入ったヒビだって残っている。起きた後で「そんなばかな!」って言うのは、ただのへたなジョークにしかならない。むしろ、起きる起きるって言われているのを幸福に思わなくてどうすんのボーイアンドガール。だって何も知らないわけではない。確実にいつか起きると言われている中で、備えなくっちゃいけないのだ。ちゃんと、ヒントがある。生き残るヒントが。
  
そんなこんなで防災グッズが今はたくさんあって、地震の時、私は子供すぎて何も覚えていないのだけれど、まあ、とにかく幸運だったことはわかる。なんの下敷きにもならなかったし、床一面に割れたガラスが散らばっていたのに、奇跡的に踏まずに外に出ていた。(夜だったから見えなかったんだよ。帰ってきて驚愕ってやつだよ)本当に幸運だったし家族のおかげだとも思う。地震は結局、なにを持って逃げ出すかより(こっちも大事だけど)、とにかく逃げ出せるような状況に自分を置けるかが重要で、倒壊しない家に、倒壊しない場所に、いなくちゃいけない。どうしろというのか。本棚とか、大きいのおけないではないか。大丈夫なのか。それは住む土地として条件満たしているのか。本当に、生きるのが困難な場所に暮らしているのだなあ、と思う。原始人だったら住まないぞ、こんな揺れる場所。でも住んでいるのでなんとかせねばね。あがきなのかもしれない、と思いながら、防災グッズの中身を入れ替え、そして、あがきかもしれない、と思いながら耐震グッズを貼り付けていく。早く空に飛んだ家に住めるようになりたいなあ、そしたら今度は雷がすごい怖い標的になるのかなあ。あーあーあー。結局やっぱり、起きる起きるって言ったって、絶対起きないで済んだらいいなあ、という結論に至るのだ。とにかく、まあ、地震は超怖い。超怖いくせに、超身近。という、当然の話で本日のブログのお茶を濁しますよ。こわいもんはこわいから気をつけてくださいね。ちゃんと生き残ってくださいね。で、今いい防災グッズリストとかないかな、って思ったら阪神淡路の経験を生かしたサイトがあって、「防災」じゃなくて「減災」という言葉がつかわれている。ああ、そうだなあ、人の力では減らすしか、できないんだよなあ。つらい。
    
悲しいかんじでまとまってしまった。でも、まあ、とにかく、防災してますか。そういうことです。防災。圧倒的絶対的確固たる意志で、地面は、揺れるものです!