エッセイはおいしいもの。

私はどうやらエッセイ的なものが非常に好きなようで、今は近藤聡乃さんの『ニューヨークで考え中』をほくほく読んでいる。生活というものはなんというか、決してファンタスティックではないのだけれど、他人の生活は近そうで実は決して体験できないものなので、みずみずしく切り抜いた作品を読むのが好き。なんとなくなんだけれど、「おいしい」って思うんだよね。エッセイを読むのって食べる行為にとても似ている。
現実というのはプレーンな状態では最強の情報であるので、魅力的なのは当然だと思う。どんなりんごの絵より実物のりんごはおいしい。それは覆らない。でも、時々覆ることがあって、実物より絵のりんごを食べたくなる時があり、それはその絵が素晴らしいってことなんだと思う。フィクションはその可能性を秘めていて、あげく無限なので恐ろしいわけで。まあだからこそリアルというのは絶対的な存在だし、ある意味フィクションを評価する上での基準にもなるのだろうなあ。リアリティーがあるか、ということではなく、向こうの世界の方が本物に見えるか、という問題。嘘を真実に見せかけるのではなく、今その人たちがいる現実だった場所が「嘘」だったように錯覚させるパワーが必要なんじゃないだろうか。なんてねー、書いてみたけれどまあそこまで本気で書いてないので気にしないでください。リアルっていうのは、おもしろみというか新鮮味というか、ワンダーを添えることが非常に困難なので(実際のりんごには虫食いがあったり、肥料があわなくてぱさぱさだったりするようなものです)、そういう点においてすてきなエッセイというのは、偶然にもとんでもなくおいしいりんごを見つけてしまったかのようなそんな感覚になるのです。フィクションだってリアルだって、優劣なんてもちろんないけど、私はとりあえず食いしん坊なので、おいしいりんごを見つけてばくばく食べちゃうタイプなのです。
   
というか『ニューヨークで考え中』は装丁もかわいいよなあ。いい本だ。おすすめです。
  
ニューヨークで考え中