スマホのすごいところは光るところ、押したら画面が変わるところ。

朝になる前までは夜なのだと思うようになって久しい。夜と朝の間には眠りがあり、それがなだらかに変貌していくようなそんな様子を見ることはなかったのに。ああ大人になってしまった。というか夜更かしの鬼になってしまった。辛い。こういうことをしたって、効率的に生きたことにはならないんだよ。早寝早起きを大切に生きていきたいものですね!
   
さて。15年前の映像とかを見ると、服装とかがすごく古く見えるよ。どうしてだろう。だって15年前でしょ? 自分の記憶を辿ってみたら、15年前の私はすぐ思い出せるし、別にそこまで昔って感じがしない。おかしい。あのころの私はテレビの人たちとか「おしゃれで最先端」と思っていたはずだし、古いだなんて思いもしなかったのに今見ると、古く見える。こわい。こうやって過去の自分が見ていたものが決定的に見られなくなるのはつらいものです。ポケットモンスターが最初に出た時ゲームボーイのあの小さな画面を小さいだなんて思わなかったし、モノクロであることに違和感すらなかった。カラーが登場してやっと、「あ、こっちはモノクロだ」という認識が増えた。それまでは本当の意味で気づいてはいなかったのに…。こうやってつまらなくなっていくんです。過去というものがどんどん劣化していくんです。当時はきらきらしていたのに、たまごっちをみて「うわー線ががたがたやな」とか言うようになってしまうのです。それがいいんじゃないか!と思ったって、「逆にそこがいい」とか思っている時点で、「わ〜絵が写ってる〜動いている〜」とドキドキしていた幼い自分とは違ってしまっている。昔は液晶画面というものすら魔法だった。テレビみたいに大きくもないのに、小さな画面でぴこぴこ絵が動くなんて、それを持ち歩けるだなんて、夢みたいだった。
そういえば、今でもどらえもんとか見ていると、CMでスマホ風のおもちゃとか売られていますよね。こう、もちろん通信はできないけれど、ある程度遊べるアプリがあって、ぽちぽち押してスマホみたいに使える、っていう。まあ、似非スマホなんですけれど、そういうのって私の時もありましたよね。携帯電話とか。電話できないけどぽちぽち押したら録音されていたアニメ声が出る、とか。そういうの。こういうのって、やっぱり大人が持っている魔法のような道具を持ってみたい!っていうところにつながっているんだけれど、子供がすごい!って思うのは「わあ、電話が持ち歩けるんだ!」みたいなことではなくて、「わあ!ちいさな機械から声が聞こえる!」とか、「わあ!ボタンを押すと、液晶画面に文字が出てくる!」とかそういうことなんですよね。だからあのおもちゃでも満足するというか。むしろそれで十分というか。そういうのって、いいですよね。大人はどうしても「なんのためにこれは生まれたのか」を気にしてしまうけれど、でも、そんなことは知ったこっちゃないと、子供は「自分にとってこれはどこが素敵か」を注目するわけで。いいよね。私も車の見た目がかわいいという理由だけで、運転もせずに、駐車場に置きっぱなしにして、中に水を満たして水槽にするぐらいの心がけでいたいです。(意味不明ですね。知ってます)