ボーイまたはガール・ミーツ・ロック

ひとが、ロックと出会ってしまう瞬間というのを、見てみたいという気がする。私はどうしたって「ビートルズはなんでも鑑定団の曲」っていうかなしきイメージがすりこまれてしまっていたし、彼らがデビューした頃、それをラジオやどこかで聞いてしまった少年少女の気持ちなんて絶対想像ができない。そうした音楽があることすら知らなかったところから、急になにもかもがわかってしまったような、そういう電撃。知れるものなら知りたい。見たい。たぶん、今CDで普通に聞くのとは違う音楽が聞こえていたはずなんだ。前に小学校だったかでライブしたバンドマン(たぶんキングブラザーズ)の人がどっかで書いてた、そのライブを偶然見た子供の瞳が信じられないほどきらきらしていたっていう、そういう話とか読むと、ああ、そういうの見れるからミュージシャンっていいよな〜なんてことも考える。人生狂っちゃう感じ、電撃浴びちゃった感じ。他人のそういうの、見たいけど、まあ見れない。見れないっていうか見えるところではそういうことはあんまりに起きない。どうやら、ロックに出会っちゃう瞬間っていうのは、あんまり第三者から観測できないところで個人的にひっそり起こるものっぽいんですよね。テレビで見てきた音楽と違うものがこの世界にあるのか! みたいな発見なわけだから、つまりテレビの外側で起きがちだし、たぶん親が教えてくれたパターンでもないだろうし、やっぱりどこかちょっと裏側で、知る、知ってしまう、というのがロックの定石なのかもしれず、だから、たぶん見たくても見れない。(あ、もちろんテレビでもロックバンドは出るし、かっこいい演奏結構あちこちで見ることができるけれど、でも、なんというかやっぱりテレビという形式だとどうしても整頓がされすぎて、感覚として「あ、これがロックなのか!」というふうに受け取ることは少ないかんじ。もう、出演の順番が決まっていてその順番で演奏がある時点で、なにかが薄まって見えてきてしまうというか。「伝える」に重点を置くマスメディアを間におくことで、情報が整頓されてしまうというか。音楽としてのロックとは出会えても、同時に現象としてのロックが同じだけの純度でマスメディアを媒介にして伝わっていくというのはなかなかやっぱり困難に思うのです。逆に、理想的な出会いは、塾と間違えてうっかりライブハウスに入っちゃった、とかそういうレベルなのだと思うし、まあ、ないな。それはないな。あってほしいな。あってほしいなという欲望だけで書きました。ていうかもっと小学校でライブとかあったらいいのにな(これも欲望)。)とにかく私もたぶんんそういう衝撃を最初にくらったのは、ブランキージェットシティのライブDVDを一人で観た瞬間だったし、やっぱり誰も周りにはいなかったわけです。
   
でも全くないわけじゃないのですよ。人生狂った瞬間、といってもいいような、そういうドラマチックというかダイナミックな瞬間、「やばい、脳が開いてしまったかもしれない!」というよくわからないことを口走る子供とか見たいのに見られないのが基本だけれど、でも、本当に時々奇跡みたいに、「あ、今世界変わっただろ、誰かの世界が確実に変わっただろ!」みたいな瞬間が、見えることがある。見えちゃうことがある。たとえばミュージックステーションで昔に起きたタトゥー事件、そこでのミッシェルガンエレファントが行ったあの最後の演奏とか、絶対にそういう類のものだった。(説明をすると、出演者であるタトゥーという海外ユニットが、オープニングのあと楽屋から出てこなくなり、時間が余ってしまったため、ミッシェルガンエレファントが予定になかった曲を、残り時間ぴったりに合わせて、最後に演奏したという出来事です。)いつもと違って準備もされていないステージの上で、ガンガンに演奏されたそれは、情報としてはまあ、まったく整頓されておらず、たぶんカメラマンもドーパミンでまくっていたに違いないという、荒々しくかっこよすぎるカメラワーク。そして背後で、ちょっとノッてるタモリさん(異様にうれしそうなのが最高)。生放送だからこそのあのヒリヒリ。あ、今、たくさんの人の人生を変えただろうなというのがわかってしまう魔力がそこには満ちていたのです。私はミッシェルが元々好きで、それ目当てに見ていたぐらいだし、つまりこのときまでロックを知らず、ミッシェルを知らず、見てしまった子供の感情を推し量ることができないがとにかくそれがプラスだろうがマイナスだろうがとにかく最高なものであったことはわかる。わかってしまう。わかってしまった!というその喜び。いわゆる歴史的瞬間みたいな映像とは違うけれど、でも個々人にとっての、プライベートな歴史的瞬間になりえた演奏だったし映像だったし瞬間だった。そういう奇跡みたいなのは本当に時々ある。世界が変わるよりなんだかドラマチックにすら思う。あ、あと結局、ものを作るとかいうそういう行為は、「これ」をやることなんだろうとも私は思っています。というか、やらなくてはいけない。やれ、私。さっさとやれ。