若さが武器だから、若さに傷つく。

宇多田ヒカルちゃんとか、若きスターが現れた瞬間に、彼女たちより年上だったか年下だったかで人生に与える影響とか意味が全く変わってきそうだなあと思う。彼女のこと私大好きだったんだけど、まあでも彼女は年上で、何より私はまだ小学生で、「若き天才」の「若き」にいっさいぴんときてなかったというか、自分より年上は全員大人だと思っていたのでまったくショックを受けなかった。セーラームーンが中学生だから。中学になると髪の毛はピンクとか黄色になると思っていたから。15歳なんて大人だし、そりゃあスターぐらい現れるよな、っていうそういうかんじだった。今考えるととんでもない発想だけど、それぐらい、年齢にショックを受けるということがなかった。でもあのとき、宇多田ヒカルより1つ上とか2つ上のひとってどういうかんじだったんだろう。何も思わなかったのかもだけど。
   
高校時代において、年下というのはなにか特別な意味を持つ。要するに自分が何もなしとげていない段階であり、なおかつ、まだまだ大きな夢を見る権利があると思っている(もちろん全員がそうとは言わないけど)。夢を見る価値なんて本当はいつだってあるけど、この時期は若さだけが誇れるスペックだから、年上の夢を軽蔑するところがちょっとあるのだ。若くないお前たちにはもう未来はない、なんてことを大人に対して思わないと、他になにもない自分のたたかう武器がないというか。で、自分の若さに必要以上の価値を見出だしちゃう。そして結果的にその発想がいちばん、自分の首を絞めていくのだ。若さが武器だから、若さに傷つく。自分より若い子に先に越されると、必要以上のショックを受けるのはきっとそのあたりが原因だろう。私は世代的に宇多田ヒカルが小学校のときに現れて、歌姫ブームが高校時代まで続いていたから、あんまりそういうすごい若い人が高校時代に一世風靡してモヤモヤみたいなことは経験しなかった。そしてそれがいいことだとは決して思っていない。私は高校時代の自分に対しては、ちょっと平穏すぎたからもう少し焦ったりグギャギャーンってなっても良かったんじゃないかと考えている。まあそれは過ぎ去ったからこその、大人だからこその、都合のいい価値観ですよ。ハッ、っていうスタンス。(綿矢りささんも年上でした、そういえば)