みんなフレンドリーだね。

インターネットだと趣味の合う人が見つけやすいし友達ができるみたいなの、心の壁が深刻すぎてインターネットでもきゃっきゃできない私からすると思ってたよりみんなの心の壁薄すぎ問題というのが浮上して、なんか急に肌寒くなるしやめてほしいです。趣味が合うのと仲良くできるのは別だろうし、そんなたくさん人と仲良くしたいとそもそも思わない。インターネットはすごい量の客がすごい大きな声で独り言言ってる喫茶店でしかないので、私はただ話し声を聞き流しながら一人でコーヒーを飲んでいたいしそれを寂しいことだとか思わなくてすむ世界でこれからもあってくれ!
    
みんな想像以上にフレンドリーだ。これは生きていてずっと思っていること、驚いていることで、みんな苦手な人とかはいるし、それが露骨に態度に出る人もいるけど、なんだかんだで好みの人にはフレンドリーだな、というのがずっとこわくて、怖いと言うのは畏怖もあり恐怖もありです、私は仲良くするということのメリットがよくわからないというか、他人と会話するのってスプーンにボール乗せて落とさないように走るより神経使うので、もうほんとうにやらないで済ませたいという気持ちが勝つ。なかよくなりたいというより視界に入りたくないという気持ち。学校行ってる時は隣の子とはなさなきゃとかあって、いまも編集者さんとはなさなきゃとかあって、そういう必要性にかられた会話はむしろ好きなんですけど、それは単純になかよくなりたいとかそういうことが目標になってないからだと思います。本当に目的のない、時間と間を消費するためだけの会話が一番落ち着くんだけれど、そうでもないのかな。(私の中で友達と友達になる必要のない人というのは立ち位置的に似ていて、ただ唯一友達にならなくてはならないけどまだ親しくない人というのが別の領域にいる。)仲良くなりたいとか思うともう、好かれなきゃいけないし、そんな任務は私の胃がぎりぎりしすぎて破裂しちゃう。友達がずっと増えないし大人になるととにかく友達なんてできないとはよく聞くのでほんとうにわたしは友達が少ないまま、生きていくのだろうけどきっとあまり困らない。正直この人生で友達が少ないことを本気で悩んだことなど一度もないんだ。友達なんて一人でもいるだけですごいことであとはもう無限と無限の二倍はおなじ、みたいなかんじで、どーでもよくなりませんか、友達が一人できた時点でどーでもよくなってしまって学校卒業してもそれは継続しているし、一人いるというその余裕がわたしの心の壁を最強のままにしてくれる。ありがたいことです。人は寂しがりやになるたびに獣になるからね。(詩人的発言をしてみました。)人が人とふれあうことの最大の理由は安心を得るためだと思っていて、わたしはたぶん幸福に生きてきたので、安心がちょっとあればそれで満足できるようになっています。だからおもしろいひとと仕事を一緒にすることになってもおもしろいなーと端から見て、それで満足してしまい、話しかけてみたり好かれようとしてみたり、そういう神経をすり減らすチャレンジをするよりただのんびりと過ごす方がいいなと思ってしまうのだけど、みんなは結構気軽にそういうことに挑戦していて、そういうのはすごいなやばいなと思う。そんなしんどいことをしてまで、と思ってしまうのはたぶん失礼なんだけど、でもやはりわたしはしんどいと思ってしまう。