納まらないで、仕事。

仕事を納める気が皆無だ。そもそも仕事納めなんてものは毎日決まった時間にきちんと働き、そしてそれが日々強いられている人たちのためのものであって、私みたいにさぼろうと思えばさぼれるしやろうとおもえば24時間勤務も可能な立場において、納めるもなにもない。そもそも、好きでやっていることが、あとからお金になるようになったラッキー状態で、「仕事が〜」とか言っていいのか? その言葉にはネガティブな感情が詰め込まれている。そのネガティブに見合う辛さも苦しみも私にはない! つまり、「納まらないで!年越しパーティーもあなたといっしょにいたいの!」って私は締め切りに向かって言わなくちゃいけないんだよ。なんだこの話。年末はあたまがこんがらがってつらい。
     
仕事という言葉でこの作業を呼ぶから、いちいち憂鬱になるんだろうな、とは思う。その憂鬱やら責任感が私には娯楽なんだろうな、とも思う。そもそも私にはそこまで責任感もないはずで、だからこそ責任やら義務感にへんなアドベンチャーを感じてんでしょ、そうなんでしょ、と気づいてはいるんですよね。締め切りっていう言葉に変なドラマを見出して、「締め切りが〜」と誰も何も言ってないのに憂鬱風に言っている私はあきらかに、ウキウキワクワクしてしまっている。好きなことを仕事にした場合、そしてこんな性格の場合、責任感だの意識したほうがたぶんずっとふざけていて、私はちゃんと反省しなくてはいけない。責任感を抱いたこと、真面目に仕事に向き合ったこと、それらを、反省しなくてはいけないんだ。
もちろん仕事をしなくては、と焦ることはあるけれど、それは責任というよりは、忘れられるのではないか、仕事をこなしていかなければ、次の仕事がこなくなるのではないか、という不安の方が強かった。つまり仕事があるってことを継続したいし、仕事があることを幸せだと思っている。じゃあ仕事がしんどいと思うこと自体おかしくない? 休みたいって変じゃない? と、いう流れから私の仕事は納まらないで当然なのだという結論に達しましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。仕事納め、できました? 私はNO。納まらなかったんじゃない、あえて、納めていないだけ。そう、言わせてくれ。
と、いうわけで大晦日まで作業は続きます。今年も、どうもありがとうございました。
   
(しかし一方で「仕事」という意識で言葉を書くことは私にとってちょうどいいとも思っている。仕事と意識することで、億劫な気持ちになったり責任を感じたりは正直皆無だし、それを演出して楽しんでいるだけれど、でもただ事実として「仕事」としてこの作業を捉えることは私にとって必要なことでもあった。私は、自己表現だと思って書くことはない、不特定多数の読む人がいるという前提で、書くのが好きだ。そして仕事というありかたは、私の手から完全に作品が離れて、知らない人たちの手元に届いていくことを、意味してもいる。依頼者がいて、その依頼者が、作品に対して目的を付与するから。つまり私の管轄外で、作品が社会に投入される。私の意識から外れたところで、読まれることになる。それは私にとって理想だし、だから私は他の人よりずっと、自分のやっていることを「仕事」「ビジネス」と捉えているに違いなかった。問題は「仕事」という言葉が大人ってかんじでかっこいい! ってことなんですよね。でもそんな風に思っているのはそもそも私だけなんでしょうか。だったら恥ずかしいだけなんですけど、事実は覆らない。まあ書いちゃったし投稿しちゃえ!)
   
   
  
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