ご挨拶2017

初詣というものは、無事に一年を終えたお礼を伝えに行くものだというふうに小さなころ教えられて、そのせいかお願いごとをするようになっても、「がんばりますので、努力が報われます様に。」というのが定番と化していた。無邪気な願いというものを(「努力が報われますように」だって十分無邪気だと今は思うんですけれど)する勇気がなかった私は、いつも「がんばりますので!」と何度もあたまのなかで繰り返す。でも、最近はそれすらも、ちょっと躊躇するようになっていた。
と、いうより。一年を終えたお礼を言いに行く、ということが、いつのまにかとても大事なことになっている。昔はそう決まっているから、そうしている、というだけの「ありがとうございます」が、今はいやでも実感がこもる。生きてきた時間という長いしっぽを手に入れて、それをひきずり、動きが鈍く、つまんなくなったようだと苦笑する。年は、たしかに「越す」ものだ。ただ流れていけばたどり着くようなものではなくて、来年というのは、何らかの障害を乗り越えていかなければ見えないもの。無事に、越すことができました。そうした実感が、年をへるごとに増えてきている。

「病とは治らないもの」「完治は当然のことではない」と思うようになったのはいつだったかな。考えてみれば最近まで、病とは治るものだと、どこかあたりまえにおもっていた。私は健康に恵まれていて、虫歯だってなかったので、ようするに「治らないからどうしよう」という問題に向き合ったことがない。でも、それでも周囲に知り合いは増えるし、知り合いの数だけ経験はあるわけで、病というものについて、ここ十数年で私は、何も知らなかったと何度もなんども気づかされた。風邪をひくと幼いころは「かわいそうに」と言われていたし、「大丈夫?」と気遣われていたし、だから風邪を大層な病だと信じていたし、風邪をひくたびどこかで気遣われることを期待していた。でも、十代後半になって「うつさないでね」と言われることが何度かあり、ああ、そうか、風邪は迷惑なのか、と知った。当然だろう、ウイルスをばらまく行為じゃないか、という人は多いだろうけれど、でも私はその常識を子供のころは知らなかった。みんなが、私を心配してくれたし、「うつさないで」なんて直接言われることはなかった。(もちろんマナーとしてマスクをつけるように、人ごみにはいかないように、ということは教育されたけれど。)かわいそうな私に、そんな現実的なことを言う人がいるとは、とはじめて言われたときは驚いたんですよ、みっともないかもしれないけれど。病とは迷惑なものだったのか。それぐらい、重いものなのか。風邪が重症化したことのない私は、風邪を軽んじていたし、だからこそ心配されることのほうが強く印象に残っていた。で、風邪こそが私にとっては病の代表で、病を、軽い存在として見てしまっていたのだろう。
童話だとかで寝たきりの女の子、みたいなのが登場すると、それはとてもかわいそう、と思うのだけれど、でもどこかで「かわいそうと思うべき存在」というアイコンとしてしか私の中に存在はしていなくて、そうした実感がなかなか育つことはなかった。むしろ、アイコンとして死や病があつかわれていることは世の中でとても多く、そうしたものに触れることで、実感がさらに遠のいてもいった。アイコンではなく実感として知ることは本当に難しい。友達も先生も、みんなみんな健康だ。というか、病をはっきり告白してくる人がいなかっただけかもしれない。とにかく私は病を見つけることができなかった、それが常識だとも思っていた。死や病が現実にはなく、非現実にだけある、というのは大きく、命とはつながっていくもので、途切れる方が異常なのだとどこかで信じてしまっていたんだよなあ。死は、とても近くにあるのに。

いまのは、生きていくといろんなことを知るという当たり前の話です。逆らって泳いできた川の水がどんどん、重たくなって、なかなか前に進めなくなってきた。病は思ったよりも多くのものが完治できずにいるし、お金とはどうしたって足りなくなる、そして人には裏切られたり、音信不通になる友人だって当たり前のようにいる。生活がつづいていくという普通のことがまったく普通でないと気付くたびに、まだ、私の中で普通だと思える部分、そこがとにかく損なわれませんようにという、そんな願いに傾いていった。それでも、どうしてか、普通じゃないことを願いたい日がある。普通が特別だとわかってからも、願いはときに日常から逸脱する。それは、間違っているんだろうか。むしろ、とても自然なあり方に思えた。最近そのことをよく考える。

年をとっていくことで、大望をいだかなくなる、なんていうのは嘘だと思う。年をとってみつけた夢は、若い頃に語っている夢より、ずっとスムーズに「目標」という形に姿を変えていけるから、むしろ昔の夢よりずっと、大きいのではとも思う。覚悟も力も、すでに体の中に溜まっていたかのようだ。夢のくせに儚くない。周りから見ると「無茶だ」としか言えないような夢でも、それをつかむための道を、当人はきちんと見つめている。環境や、きっかけや、努力といったものを、すべて自分で揃えなくちゃいけない、人生を変えるGOサインだって自分で出さなくてはいけない。自分が生きているっていうこと、普通であり続けるっていうことが奇跡なのだと知っているからこそ、その作業はしんどいし、しんどいからこそ机上の空論にはならないんじゃないか。夢が叶うかは別にして。

当たり前のように見える現実が、幸運によって作られていると知ったのは、生活というものが体の中に積み重なって、「私は生きている」とつねに意識ができるようになったからなのかもしれないな。川の水が重くなり、前に進むのすら困難になってきたとき、同時に、自分は今進もうとしている、ということを強く実感もしている。昔は、なんでもない日常は忘れてしまってもいい日常だった。なにかになりたい、と夢見ても、それはフィクションの中にいる自分に、どんな役柄を与えるか、ぐらいの発想だった。どこか、自分は無敵で、妖精で、ファンタジーで、無限なんじゃないかと思っていた。けれど、大人になった今、体のずっと底に「生きてきた、生きている」という実感が横たわっている。生きること自体が困難で、感触のあるものだと知った。自分の人生の輪郭を知ってしまった。そんな中で見る夢は、子供の頃とは大きく違う。
初詣の願い事はだんだん、「生きる」ことそのものに近づいて、とにもかくにも「家内安全」みたいなことをいう知人も増えてきた。私も昔から、家族の健康がだいじなことだったけれど、そこに強い実感というか、「ほんとたのむで」っていう念がこめられるようになり、はああ、私も「死はやばい」って思っているのだなあ、と気づく。死ははてしなく悲しく、こわく、そしてつらく、それでも自分の人生の果てにあるものなのだと、どうやらちゃんと認めているらしい。そして、だからこそ、「がんばりますから、報われますように」という自分の願いが、重たい。その先に期待している「報い」がファンタジーではなくリアルだからこそ、質量があるとわかる。大きいし、しかも重い。なにより、「生きる」ということ、人生まるごとと繋がって、「がんばる」という言葉自体にも重さが生じ始めていた。

実現する可能性は著しく低いというのは当然ではあるけれど、でも、生きてくると「奇跡」や「夢」は徐々に、非現実的なものではなくなっていくんだなあ。

人生とは、もしかしたら進めば進むほど、まぶしくて、うつくしいものなのかもしれません。おそばせながら、あけましておめでとうございます。
  

  
  
このブログやら他の雑誌に載ったエッセイやらをまとめたエッセイ集が最近発売されました!書店さんやらネット書店やらで買えます。発売2週間で重版も決定!ありがとうございます!

 エッセイ集『きみの言い訳は最高の芸術』
  
 最果タヒにとって初のエッセイ集。
 ブログを中心に、雑誌・新聞に掲載されたエッセイも収録。

   
ちなみにはてなブログさんに最近インタビューしていただきました。ここから読めます。