千年後の百人一首

生まれて、最初に、ああわたしも言葉を覚えようと決めたのは、言葉がどうしても必要だったから。当時のことは覚えているわけもないけれど、伝えたいこと、伝えなくてはいけないことが多すぎて、あわてて言葉に向き合ったのではないかなあ、なんて思う。そうして覚えた言葉は、他の人類にとっては使い古された、見慣れたものでしかなかったけれど、私自身にとっては、幼い私にとっては、ピカピカの新品で、それは、伝えたいと思ったことがすべて、私にとっては真新しい物事だったから。人が言葉に触れる瞬間はいつだって、泡がはじけるように「新しさ」がはじけている。はたから見れば、「みんなが知っていること」「もう古ぼけたこと」であったとしても、言葉を勝ち取った瞬間の、にぎりしめた言葉はどれも新品だ。そしてそれはもう、何年も、人類の歴史の中で繰り返されている。新しく生まれて来た人たちのなかで、繰り返されている。十年、百年、千年。人が使う言葉が、いとおしいのは、その言葉がその人にとって、新品だった瞬間が必ずあるからじゃないかなあ。

11/22に「千年後の百人一首」という本がでます。清川あさみさんとの共著です。内容は、ほんとうに、「千年後の百人一首」タイトルの通りです、百人一首を今のものとして、もういちど描きました、書きました。清川さんは百人一首のひとつひとつを、布、糸、ビーズで描き下ろしています(布も糸も、そしてビーズもガラス玉として、千年前にもあったのですよねえ、それがどきどきします)。そして私は、およそ千年前によまれた、百人一首の歌たちを、現代の詩としてひとつずつ書きました。訳しました、ということでもあり、ひとつひとつに詩を書きました、ということでもあり、それぞれの歌に飛び込んで、その奥にある感性や感情や意思を、その人が生きていた頃、その人が言葉を勝ち取った瞬間の真新しさに触れるまで潜り続けることでもありました。「千年も昔のひとも、同じような気持ちを抱いていたんだねえ」と言うことは簡単だけど、でも、本当は、同じではないのですよね、同じ今に生きていたって、みんなばらばらなんだし。でも、今隣にいる人たちの心情が、遠くても見えないわけじゃないように、千年前の人たちも、見えないわけじゃない。わたしは、その人が生まれて、伝えたいと思って、言葉を一つ一つ手にした瞬間、そのきらめきに触れた上で言葉にしたかった。一般的な概念としての愛やかなしみではなくて、その人が見つけた、その人だけの愛やかなしみを、そのときの新しさのまま言葉にするしか、方法はないと思った。最初話をもらったとき、途方も無いことだ、ととにかく思って、緊張して、それから、どうしようもなくわくわくもした。恐れ多いよ、でも、恐れ多いほどの深い海が、こんなにもいくつもあって、私はそれを今から潜るのだ、わくわくしないはずがなかった。ひとつひとつ書いているときは本当に完成するのだろうか? と不安でもあったけれど、清川さんとともに作ることができたから、きっとやりきれたのだろう。実際に打ち合わせで見た清川さんの作品は、本当に繊細でいて、それでいて、「生活」の気配がした。それは糸や布を使っているからなんだろうなあ、と思う、縫うという作業が自分の生活の延長線上に想像できるからだろうなあ。それはそのまま時間を遡って、千年前の生活にもつながっていく。震える糸や、光を反射する縫い目たちの、あの存在の仕方には千年前のあの場所にもありえたような、そんな予感がした。絵を見てから書いた訳もあるし、訳を書いて、それに呼応するように絵が届いたこともある。百人一首の作者たちの息吹と、そして清川さんの作品が、絡み合って、私はそこで言葉をかけたことが幸せで仕方がありません。今、こうして、できあがりました。ああ、11/22に出る! うれしいよ、見てほしい、読んでほしい。そしてブックデザインは祖父江慎さん+ 藤井瑶さん。解説は網倉俊旨さんです。予約受け付けは始まっています。本屋さん、ネット書店さん、いろんなところで始まっていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

千年後の百人一首

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