飽きてOK

‪ずっと書き続ける作家を、読み手がずっと好きでいるのはむしろ難しいことだと思う。だから、好きじゃなくなったとか、昔の方が良かったと言われるのはすごく、すごく自然なことだ。さみしいはさみしいけど。互いに変わっていくし、その方向性まで同じことなんてほとんどないよ。ただ、自分の好みじゃなくなっただけだと思うのに、「最近のテーマは無理してる」とか、「読者に無理に合わせすぎ」とか、こちらが間違っているみたいな言い方をされるのは、なんでなんだろう、って悲しくはなる。わたしは書きたいように書くし、書いたら書いただけ言葉は蓄積されていくから、変化は自然発生的に起きていく。私はその変化に驚かされるのが楽しいから、まだ書き続けている。変わらないなら、新たに書く意味もないし、退屈すぎる。むしろ、作り続ける人間が、過去と変わらなかったらそれは偽りだと思う。好きだと言ってくれていた人たちが「今のはそんなに」っていうのは、そりゃさみしいことだけど、でもむしろ一瞬でも好きだと思ってくれたことを私はすごいことだって感じる。奇跡的な交差だと思っている。他人が書いたものを「いいな」って感じるってすごいことだよ。ありがたいです。そういうときのために、本はあるのかもしれない。その人にとって特別な本だけ、その人の手元に残るなら、それこそが完全だと思うんだよね。もちろん、今の本も読みたいって言ってくれる人もありがたいです。でも、「なんか好きじゃないかも」ってなったときに、気にしないでほしいなと思います。わたしも10代の頃とか、好きだったはずのアーティストとかで、なんかこれ好きじゃないぞってなったとき、すごく無理してしまって、なんとかファンとして振る舞おうとして、自分が悪いような気がしたり、感性が鈍ったのかとか思ったり、いろいろ相手を心配したりしたんですけど。何もかも好きでなくても、最新もすべて好きでなくても、相手の変化を受け入れられなくても、「好き」と思ったときの「好き」は、ずっと永遠です。作品はずっと残り続けるから。そしてその「好き」はわたしにとってずっとずっと嬉しいものです。

わたしは、どうして自分の作品を読んでくれる人がこんなにいるのか、本当はよくわかっていなくて、ありがたいけれど、その人たちがずっと満足するものを書き続けられるかはわからなくて(というか無理だと思ってます)、わたしはわたしが楽しいから書いている、という勝手なところがどうしてもあるから、多分いろんな人がこれから「今のは別に」って言っていくんだろうなと思っています。それと同時に「昔のはそんなにだったけど」って、今の本を手に取る人もいるんだろうし、そういう状況をどちらもありがたいなって思っていたい。読まなくなった人も、これから読む人も、すごく、すごくありがたいです。そして、わたしはずっとわたしなので、これからも頑張って書いていきたいと思っています。