感傷が嫌

しんどい、なー、しんどいとなんで全部が全部嫌になるのかな、別に誰もこっちなんて見えてないんだけど、過ぎていく時間も他人も自分を捨てて行ってしまう感覚というか、たぶんしんどくていろいろ手放したところに残る感覚が苛立ちとか不満とかなのかもなー、眠りたいけど世界が嫌いすぎて眠れないんだ。

不快なことはそりゃ大量にあるわけだが、それに対する耐性がだいぶ下がっていて、マジですぐに怒ってしまうし、本当に嫌、よくわからん理屈で悲しくなったり自分の無力さを実感したりして、1日動けなくなったりとか本当に嫌、もちろん怒る自分より不快なことに対しての「嫌」「おかしいぞそれ」もあるし、それがなくなったらおしまいだともおもうが、でもそれとは別で自分の苛々に「もう黙れ、寝させて」という気持ちにもなる。怒り続ける体力もないのに怒り続ける自分の頭の中に、「いい加減にしろ」とそれこそ怒っている、どうして最後に残るのがこういうネガティブな感情なんだろう、そんな体力一ミリもないのに、体力がない時ほど自分を庇うことができない。感情から庇えなくなる、感情と自分は別だ、こういう疲れた時に思い知るけれど、感情に振り回されている側だ、わたしは。わたしは疲れているし疲れているのにより疲れるような気持ちになる。この時に自分はとっさに何か自分を守る行動を取れるんだろうか、たぶん取れないと思う。他人に怒りをぶつけないとか、黙っておくとか、そういうことはまだできるけれど、自分がその怒りに飲まれないようにする、ってなかなかできない。怒りを我慢するのではなく、怒りを止める、なんてできないんじゃないか。

結局喜ばしいものや、アホらしいものをみて、忘れてしまうしかなく、そんな体力がない時、雨が降っていたり、蒸し暑かったり、友達がその日だけ連絡取れなかったり、ゲームで大失敗したり、パケ死したり、そういうのが続いた時、パンクするんじゃないだろうか。一個ずつは大した問題ではなくても、自分の中にある別の、理不尽などうしようもないネガティブな感情を、受け流せなくなったとき、その対象にめちゃめちゃに怒ってしまったり、自分がめちゃめちゃに嫌になったり、やけくそになってしまったり、するのかもしれない。そういうのってバカみたいかな、嘘みたいかな、でもなんか携帯の電波がおかしくなったとき、「全員嫌い」って思ってしまうことはあるし、私はそういうきっかけで自分が躓くのがすごい想像できて、小さな違和感、失敗、圏外が最近めっちゃ怖いんだよな。それをしんどさだと捉えている、自分が、自分のわからなさに怯えているし、強くも賢くもないわ、こっちは、破裂する風船みたいなものを持っている心地です。だから、まともなことを言っている人たちがときどき、すごく怖い、完全に勝手な話なのだけれど。自分の歪んだ目で見たものだけで統一したいと感じる、情報にみえるものが、フラットな絶対的な、ゆらぐはずのないものが、どれもこれも全部怖いのだ。