12年前に書いた原稿

このエッセイは2008年10月に福音館書店の『あのとき、この本』に寄稿した原稿です。来週、初の絵本が発売になることもあり、久しぶりに再読しました。良かったら読んでみてください。


愛情のアルバム  最果タヒ

 私はいまだに絵本の教育的役割が理解できていない。むしろあのお話はいったい何がしたかったのだろう、と思うことのほうが多い。本屋で催される絵本フェアで子供と肩を並べ、新作を読むような私にとって、絵本はただたんに絵のついている素敵な本でしかないのだろう。だから「あのとき、この本」のお話をいただいたときは、とても困惑したものだった。
 いったい何がしたかったのだろう、なんて思った一冊に、私が最も大切にしている『しろくまちゃんのほっとけーき』がある。ただしろくまちゃんが友達とほっとけーきを作るだけのお話だ。異世界の冒険でも、王子様が出てくるロマンスでもない。けれど私は高校生のころ、その本が部屋から無くなっているのに気付き泣きながら探し回ったことがある。大して読み返すこともなかったのにと、その狼狽振りに私自身びっくりした。そこまでしろくまちゃんが好きだったのだろうか? ほっとけーきが好きだったのだろうか? いや違う。私が好きだったのはその絵本を読んでもらった記憶だった。母のひざにのって読んでもらったあの記憶が、私にとって決して手放したくない存在だったのだ。
 昔の絵本には、幼いころ与えてもらった親からの愛情が詰め込まれているように思える。自分が愛されていたんだな、元気に育て、幸せになぁれと思ってもらえていたんだなとわかるのが年を経てそれを開いたとき。アルバムなんかよりもずっと、それはリアルでわかりやすい。なぜなら幼い子供は写真などに残る視覚的な世界ではなく、もっと深い感覚の世界で生きている。子供のころに親のひざにのせられて、読んでもらった絵本のほうが写真よりもずっとあのころを思い起こさせるのだ。
 私は幼いころ毎夜母のひざに乗せてもらって絵本を一冊読んでもらっていた。母の選ぶ絵本は記憶に残るあたたかさを持つものばかりだったように思える。私にとって絵本というのは、本という存在だけではなく、母からの愛情そのものだった。愛情がはっきりと形あるものとして在り続けてくれることはなんと幸せなことだろうと、今では母に感謝している。



ちなみに絵本刊行に際して、河出書房新社のサイトで今年書いたエッセイは以下です。
http://web.kawade.co.jp/bungei/3645/

絵本『ここは』よろしくお願いいたします。
6/26発売ですー。