共感は必要なのか。
打ち震えるほど共感するものに、叫び声に、すがりつくような思いをしたことが無い。
むしろ自分に無いもの、そして超越したものに感動してしまうことが多い。
青春の炎を、描かれた作品を片手に握り締めて、思春期を生き抜いてきたという意識が無い。
          
しかしぼくはひどく怒り、ひどく悲しみ、そしてひどく一人でいた。
ぽかんと開いた場所で、理由も無く火はついて
しかし理由は無かった。
だからこそぼくは気まぐれに優しくなり
気まぐれに信じた。
なにかもわからないものを信じた。
だけれどそれは
すべてがぼくであり、火も優しさも、それが気まぐれであることも
ぼくが通っている道に置かれたさだめなのだろう。
         
人間を怖いと人はいう。
ぼくは良心を愛している。
ただ、優しい心を。
そのひとがときに乱暴で、悪意に満ち、そしてぼくを殺そうとしても、
そのひとの良心をぼくは愛せる。
悪意を憎しみながらも。
良心があれば
その良心があれば
希望はついえない。
ぼくにたいする希望ではなく
世界の
美しさに対する希望。
             
絶望をしたことが無いぼくをぼくは浅いと思っていた。
もしそれが甘いということなら
ぼくは絶望をたんなる黒とは思えなくなった。
けれどぼくが見ているのは
ただまっさらな希望
恐怖とは別の場所におかれた新鮮なジャム。
それを汚すことは無い。
ぼくはそれを舐めて幸福だと
隣に座ってくれた、ぼくを知ってくれた君に
ただ伝えるだけだ。