おー かみよ

ここに来ている人が何を期待しているのかはわからないし、期待していない可能性のほうが大きいですが、とりあえず、ここいらに書いているわたしの間の抜けた文章が的外れであることは確実で、詩人という肩書きを意識しなさ過ぎた結果がこれである。もちろんわたしもいくらか考えたこともかけるし、セキララな何かもやろうとおもえばかけるかもしれないが、ともかく、それはここですることではないように思える。形態は大切だ。表現というのよりさらに奥に「自分」がいるが、実はそれは「自分」と名乗っているだけのただのアイデアの軍団だ。ここはこうしたらいいだの、これはどうしろだの、そういったアイデアが集まって、表に出たがっている、試したがっている。その意識の強さがそれを「自我」だと誤解する。そうしてぼくらはよろこんでそれを日記にしたり詩にしたりするわけだけれど。もう一度いう、形態は大切だ。つまりそのアイデアを無鉄砲に「自我」と信じ、そのまま乱暴に放り出すことをしてはいけない。大切に、それぞれをひとつのアイデアとして、何にすべきか、詩にすべきか日記にすべきか小説にすべきか絵にすべきか、考えた上で行動をとらなければならない。たとえ一度も絵を描いたことがなくても、絵にすべきだと思ったのなら、それだけのために絵の訓練をはじめるべきだ、なににしても、それができるまではそれのために生きているのだと思うべきだ。思うはずだろう。というのがわたしが主人公の場合の定説で、もちろんこれは個人の問題で、ひとつに熱中した人間がどれほど強いかはよく知っているのであまり自慢にもならない話だと思うが。そんなわけでわたしはいろんなことを訓練しており、最近は大変多忙ですが元気であります。