無責任宣言

私はあんまり難解とか前衛とか言われ慣れてないのです。昔記号を使った詩をつくったこともあったけど、あれは記号が一番忠実だと直感でおもったからそうしただけで、特に深くは考えてなかったです。字面を飾るというより、思いついた形に音的に近づけていくかんじで。だから自然なことでした。
話がちょこまか変わるのも、(だいたい詩を書くときは話すスピードのまま、とめずにその順番で書いていくのだけれど)そういうふうに思いついたからそういうふうに書いているわけで、とくにあとで切り絵みたいに推敲したりはしないです(一度やろうとして飽きた思い出がある)。書いた文章は全部私にとっては「プレーン」な形で、だから私は調子がいいときの作品を読むと、四次元日記みたいに思います。そのときの脳の動きが三次元超えてさらに時間軸プラスで、リアルに再現される。なぞのテクスト。そういう状態がああ!楽しいなあ!って思えて、私はだから当時詩を書いていたんだな、って思う。単に楽しかったんだね。詩人じゃなくて個人として。詩が面白かったんだと思う。また私がおもしろければいいやと思って書いていこうかな(無責任宣言)。
   
にしても脳の状態を記憶するのに私は言葉オンリーが簡単に思えるけど、人によってやっぱりさまざまなのかな。さほど読書家でもなかったのになんでこう育ったのかなー。気持ち悪いなー。(ひどい言い様)でもたぶん人の大多数が言葉だと思います。(私以外の人は気持ち悪くないよ!)一番使うのに慣れているもんね。
  
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