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ワーク・ワーク・ワクワク!

なんか締め切りがたっぷりある。うれしい。タスク一覧見てほくほくしている。原稿を待ってもらえるというのは本当に嬉しいことだし光栄なことだし、もちろんちゃんと間に合わせたいと思うし、いいものを書きたいし、いいことしかない。(私はこういうところで尋常ならざるタフさを見せるのでプレッシャーとかは高校物理における空気抵抗レベルで無視します)締め切りにたいする対応は基本的にぎりぎりまで送るか悩んで結局送るか、むしろ依頼受けてすぐ書いてでもすぐ送るのもあれだなって悩んでワンテンポおいて送るかのどちらかが多いです。小説とかあんまりすぐに送ると、相手方もすぐ読まなきゃ!って困らせるのではと思っているので、ちょっと寝かせたりします。なぞの気遣いです。(どうでもいいですけどすごく気を使ってくれる人と会うと、ありがたい反面、「きっと私、この人にとってものすごく気を使えてないんだろうし、それでうんざりされてたらどうしよう」とか思いますよね。親切の基準が高い人って、なんていうか自分もそれを求められている気がして、そしてそれがきっとまったくできていないとわかって、こう、嫌われてそう100%ジュース飲んだような顔になる。(なんだこの日本語))
ということで忙しい自慢でした。でも本当は多忙って言ったら多忙の精霊にぶん殴られる程度しか忙しくないのでこれからもお仕事は大募集中です。よろしくお願いいたします!
   
なんの話だろう。こういう仕事をしていると、まあ、すっごく身にしみることは、「自分をある程度認めてくださっている」方としか話さなくなる、ということです。自分の作品を知ってくださっていて、なにかに可能性を感じてくださっていて仕事を依頼してくださっている人としか話さないので、人間として大変、コミュニケーション能力が落ちます。基本、自分に興味持ってくださっているじゃないですか。こういう状況って本当に異常で、普通社会ってのは自分に興味がないし、自分のことなんてゴミクズだと思っているし、見向きもされないものなんですよ。で、そのことを忘れる。そうするとだんだん、自分の作品とか自分の商品価値とかを見誤るようになるのです。ものを作る、売る、というのは自分のことを好きでいてくださる読者の方だけに届く行為ではなく(だとしたらファンクラブつくったほうがいい、年会費をもらって会誌の作品をのせる)、もっと広いところに届くことを望むべきだと思うし、望むからこそ私はそれをしているんだし、それなのにそういうの見誤ったらやばいだろ、と本当に思う。少し前に、今は仕事相手であるとあるところに、飛び込み(アポは取ったから厳密には違う)で話に行ったことがあって、私のことをまったくご存知ない編集さんとお話ししたことがあります。いやー、面接みたいなもんですよ。頭がめちゃくちゃにキレる方であったため、10秒20秒と、商品価値を測られている気がして、なんていうかそれはそれで楽しかったです。自分のことをどれだけ端的に伝えられるか、(まあ伝えた後は相手の価値観とか判断基準次第なので私にはどうしようもない)そういうのって、まあ、実はね、自分の能力を100%試す場でもありますよね。言葉使って仕事してるし、そりゃあ一番よく知っている最果タヒっていう存在をちゃんと伝えられなくてどうするってかんじですよ。という意味で楽しかったのです。おかげで今、そことのある一つの仕事が生まれ、ちゃんと進行しているし、そろそろ形にもなろうとしている。なんか自分が試せて最高なんですとか言い出すとたいへん意識高い臭がするし、それはいやだし、ほんとう、そういう意味ではないですけど、世界のこと忘れたくないから「自分のこと知らない人」のこと、忘れちゃダメだね、っていうフツーの話です。