ゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらバーン − ゆらゆら帝国の解散

「グレープフルーツちょうだい」を聴いている。ゆらゆら帝国というバンドは私にとって現役の日本ロックバンドでもっとも信頼できるバンドだった。新譜が出るというニュースを聞いたときからそれは傑作になるのだと確信できたし、それが裏切られることは一度たりともなかった。過去の作品の模倣に逃げることはなく(今回の解散宣言でそれは意識して避けられていたのだとわかった)、つねに新たな側面を開拓し、それは退化ではなく進化だった。今日、「ゆらゆら帝国」が解散する。明日になればゆらゆら帝国はいない。ゆらゆら帝国だった三人がいるだけだ。
「グレープフルーツちょうだい」を聴いている。女子高校生だったころに120分テープの裏表にこの曲だけをリピート録音して、大きなカセットプレイヤーで永遠と聴きながら、大阪の港までミッフィー展をひとりで見に行った。近くには水族館があったけれどミッフィーだけで帰ってきた。それからしばらく耳にスピーカーがとりついて、ずっとこの曲が聞こえていたからラッキー♪と思った。高校生だった私にとって好きになったとき解散していなかったバンドはわずかなものだった。もっとも心酔したブランキーは小学校に通っているときか中学校に入ったときに解散していて、インターネットで解散ライブとなったフジロックのライブレポを検索して泣きながら何年も前の記事を、セットリスト通りにかけたBGMとともに読んでいた。自分がそのころに気付いていなかったこと。解散報告にショックをうけることもないこと。バンドは生ものだ。同時代に生きていないということは大きな乖離を生み、それはとても残酷で、けれどだれも悪くないのだ。RSRで三人が一瞬そろいセッションしたときは、神戸で目撃できなかったことを嘆き、それから北海道まで毎年夏、通うことになった。一瞬目にすることをこれほど渇望しなければならなかった。(皮肉なことにおととし浅井さんと中村さんがブランキーの曲をやったとき何も知らない私が見ていたのはゆらゆら帝国だった)ブランキーは知ったとき解散していて、ナンバガTMGEもライブを見る前に解散した。自分が養われる側で、ライブに気安くいけないあいだにどんどん好きなバンドは解散していき、その中でゆらゆら帝国はずっと現役だったし、決して進化をやめることもなく飽きさせてくれなかった。だから私に決して後悔はないだろう、たくさんのライブで彼らを見たし、音源も楽しんできた。新譜が出る楽しみを味わって、RSRはじめ、たくさんのライブで彼らを見た。坂本さんの髪型は軽くニュースになったし、ファズエフェクターに詳しくなった。だから解散ライブがないことも、アンコールをいつもしないゆらゆら帝国らしいと笑うことができる。終わりといったら終わりで、さよならといったらさよなら。私はナンバガのときもTMGEのときもひどく嘆いたし、もう少し待ってくれたらと心から思った。今回ははじめて今までありがとうと笑顔で送り出すことができるのではないかと思う。もちろんかなしいし、今とても脱力しているけれど、きっといつまでもずるずるとひきずることはないだろう。三人が音楽を続けてくれるなら、それはとても幸せなことだと思うだろう。バンドが解散するときにそのバンドを本当の意味で知っている、それはじつはとても幸せなことなんだ。今日私はそれを知った。