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 疲労がすべての感情の最たるものかもしれないね

古いか否かでいえば、苦しみを吐露しないことを美徳とすることも、苦しみを吐露することを泥臭いと知りながらも吐露してしまうという美徳も、どちらも古いようにおもう。というより、もはや後者は成立しなくなっている。美徳を吐露することは泥臭い、という先入観が人から消えつつあるからだ。昔は、苦しみの吐露に対する「美しくない」「泥臭い」という感覚が多くの人に存在しており、だからこそ「泥臭い」とわかっていながらも批判されながらも、耐えられず吐露せざるを得ない所に「苦しみの吐露」の別の美しさが生まれていた。けれど、今では「苦しみの吐露」の美しさは世の中に浸透して、昔ほど異質でもなく、批判される存在でもなくなった。「泥臭い」という自覚も批判も少なくなり、「わかっていながらも耐えられなくて吐露する」という状況が成立しなくなってる。そんんな今になって、泥臭いという自覚も他者からの批判もなく、はじめから「美しいこと」として行われる吐露は、昔のもののように美しくなれるんだろうか。よくわからない。けれど、だからといって吐露しない美しさが復権したわけでもない。人の感情が美しい時代自体が、終わった気すら時々する。