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コミュニケーション・ラビリンス

突然ですが私は、他人に質問することができないんです。みんなそれぞれがそれぞれでがんばればいい、と思っているし、他人に疑問を持つっていう状況がわからない。私は自分の話なんて退屈マックスだろうと思い込んでいて、自分から話すこともない。そうして結局沈黙がその場で生まれて、じりじりと砂漠みたいな、水を焼いたような空気が漂う。沈黙のあまりの長さに、あたしのこと嫌いでしょ、なんて言われたこともあるし、ええもうめんどくさい人類……と思うんだけれどみなさまいかがおすごしでしょうか。別に怒っちゃいませんよ、疲れているだけですよ。だいたいそもそも、質問って失礼なことだって思っていたのに、人のことを知りたがるのって下品だと思っていたのに、秋の空みたいにシフトチェンジしやがって! 逆に聞いちゃいけないことを聞いてしまいそうで、結局今でも最低限のマナーとして私は沈黙を選んでいく、それが、優しさなのです。親切なのです。博愛。ラブアンドピース。
といっても別に会話が嫌いな訳じゃない。ラジオとか打ち合わせとか、ちゃんと、目的が共有されているコミュニケーションはむしろ楽しい。ラジオだと人を楽します、とか。打ち合わせだと、仕事のこの部分を決める、とか。そういう、暗黙のルールだけじゃなくて、ちゃんと明確なルールがあって、それに従って話す、というのは人間のコミュニケーションって感じがするんだ。(他は全部、獣の所業だ!) 私はそういう時間を繰り返すことで、「あ、私まともに人と話せている!」と、人間としての失いかけた自信を取り戻しているのです。リハビリなんです。社会に出たのに、社会の仕組みでリハビリしてる。むしろ、どうして目的がない会話なんてこの世にはあるんだろう、社会の仕組みからはみ出ると、どうしてそればかりになるのだろう。誰も役割を負わないままなんとなく場を作って、話す人それぞれで期待しているものがぜんぜん違うまま進んでいくんだ。早く話を終わらせたい人、自分の話を聞いて欲しい人、自分に興味を持って欲しい人、そのなかの一人の話を聞きたい人、なにか情報を得たい人、ただただ言葉の応酬を楽しみたい人……迷宮にしか思えない。
  
そんなこんなで今でも会話は怖いのですが、一方で人の話というのはちょっとおもしろいのでは、と思うことも増えてきた。仕事する人がそれなりの年齢だからだろうと思う。物語を書くようになったからか、「人に歴史ありなのね」というような感覚が興味深い。編集者さんとかそれなりの年齢になった人って、意外な職歴があったり、学生時代があったり、するんですよね。初対面だとそんな話は出てきませんが、それなりに仕事していくと、ちらっとそういう話が聞けて思っていた以上に面白がる自分がいる。冷静に考えれば、まあ、そういう人もいますよね、ってぐらいの話なんだけれど、「現在」のその人と、「過去」のその人にギャップがあるせいで、そこに「物語」が見えてくるんだ。文章の場合「行間を読む」とか言いますけど、こういう場合でも、私は、その「現在」と「過去」の間を見ているんだろうな、と思います。「現在」がどんなにおもしろくても、過去がないならそれは出落ちでしかない。ちゃんとした「物語」が見えない。一時的な物事の側面ではなくて、時間軸に沿った物事の「過程」にこだわるのって、ものすごく人間っぽいですよね。生きること自体が死の「過程」でしかないからでしょうか。(急に話が大袈裟に。)