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マナーと偽善を大切に。

私は結構な大人になるまでいいひとになれない自分というのがとてもいやで、なんで自分より他人を優先に考えられないのか、とか、どうしてすぐ気分で行動してしまうのか、とか、そういうことをいちいち考えて落ち込んでいたのですが、友人にそれを話したら「え、っていうかいい人なんかになりたいの?」とあっさり言われてしまい、あれっそういうものなの、とびっくりしたのでした。ちいさなころから「人はいい人であるべき」というイメージのまま、それが理想論であることに気づかず、あと、私の周りがみんなめちゃくちゃいい人ばかりだったため、うまくそういうふうに振る舞えない自分がひどい不良品であるような気がして、いたたまれなかったのですが、友人からすれば、「いい人なんて滅多にいないし、そもそもそんなの目指すものじゃなくない?」ってかんじだったそうです。というよりいいひとにみんながみんななれるわけではない。あの、全方位のことを考えて行動できる想像力や、自分自身よりも他者を気遣うことによろこびをかんじるからこそあふれるあの空気は、天性のものであるとまでは言いませんが成長しきった大人がちょっと背伸びしたぐらいでは手に入るわけがないものなんですよね。それを友達は教えてくれた。まあ簡単にいうと「きみには無理でしょ笑」って。それは一見ひどい話に思えるけれど、でも私は「自分なんていいひとになれない」と自覚したことでそれはもう、とっても気が楽になりました。それまで本当にひとと話すのが苦手で、自分の図々しさがあふれでるんじゃないかとこわくてしかたなかったんですが、そーいうのも治りました。というか、友達が「別に君がいいひとだから友達でいるわけじゃないし」って言ってくれたのが大きいかもしれません。
  
もちろんだからって開き直ってモヒカントゲトゲ肩パットみたいな状態で、ヒャッハーヒャッハーと好き勝手に生きてるわけではないし、むしろ「いいひと」という謎基準を捨て、「自分が後ろめたくならないか」というただ一つの身勝手な判断基準で考えるようになってからのほうが、行動だけ見ればむしろ優等生になったかもしれません。電車で席を譲るかどうか、落ちてるゴミを拾うかどうか。後ろめたい思いをするとあとあと損じゃないですか。あー席ゆずっとけばなあ、とかいちいち考えたくない。まあそういう自分勝手な価値観ですし、いわゆる偽善ですが、いいんですよ、私はいいひとになれるタイプではないし、全員に好かれるとかまあ無理なんで。がんばればいいひとになれるはずって自分を過大評価してた。で、ちがった。勘違いだった。残念無念!でも世の中は良く出来ていて、そういう不良品気味な人間でも表向きは優しい存在でいられるようにしてくれるのが、たぶん、マナーとか偽善なんじゃないかなと思うのです。