インターネットを殺伐としたのはだれだ? ――わたしです

放浪息子の千葉さんはなぜあんなにもかわいいんだ。すばらしいな。かわいいすぎてすばらしい。
   
インターネットというのは対話しているように見えても、発言者はそれぞれ、自分対大勢、という状態で、不特定多数の視線を意識して発言している。なので現実世界での1対1の対話にはなっていない。あくまで、1対多でどちらもが発言をして、その発言の一部が偶然重なり合うことをコミュニケーションだと思いこんでいるだけじゃないかな。
たとえばそれは、通常の会話が喫茶店で、テーブルをはさんで、二人が語り合うものだとすれば、ネットは、喫茶店でまったくべつのテーブルについた二人が、それぞれ喫茶店内のすべての客に聞こえるように持論を述べているようなもの。聞こえてきた相手の話が興味があれば、自分もその内容を語りはするが、やはりそれも全員に聞こえるように語る。
そうした状態では、聞き手も、相手が自分に届くように語っているわけではないこと、対話をしようとしているわけではないことに気づいているので、語られた内容は、相手のためではなく自分のために消費される。具体的に言えば、相手のことを配慮し、対話をするためにリアクションをとるのではなく、話を聞いたときの自分のリアクションを自己表現のために行い、さらにはそれを不特定多数に見せようとする。自分以外の人間の語る話はすべて、自己表現の餌であり、肥料でしかないのだ。そうした環境は、自らの思考を人への気遣いなど気にせずに行えるという点ではいいけれど、それが殺伐とする原因なんじゃないかという気もする。