最低も最高もつまんないんだよ

最近真面目なことをここに書きすぎた気がするしそうでもないのかもしれないけれど、真面目なことを書く時に自分がどういう立ち位置にいたらいいのかわからなくなるのだった。急に人を殴ってはいけないとかそういうまともな話をするときに、それを自分が発言することによって自分の見え方がどう変わるかとか、あるじゃないですか。当人は考えなくても、その変化がないとは言えないじゃないですか。不特定多数の話やら他人の話やらがしたくても結局それを書いている人間がいるという時点で、そいつの口元に全ては帰結するというか、そいつの言葉である限りすべてはそいつについて思考する材料にしかならないというの、本当に最低最悪だと思う。言葉が全てコミュニケーションだと思っている時点で言葉は永遠に自由になれない。しかし誰がどういう意図で発言しているのかというそのことを気にせずにものを聞いたり読んだりすることができる人はあまりいないというか、それは人間として自然ではないのかもしれないし、だって野菜すらも誰が作ったのか気にする世界。そしてそれを無視してなかったことにして、世界じゅうの人が自分にとって都合のいい解釈だけをするマネキンだと思って原稿を書くのって非常に、原稿料もらっている立場からしたら終わっているよな、とも思うというかそれはただの価値観の問題なので人それぞれだけどとにかく私は単純につまらないので、やっぱりコミュニケーションだと思って読まれることを無視したいけど実際にあるものを無視してすっきり書くことはできないんだよなあ。だからいい話やら正しい話を書く時にそれが自分の評価に影響を与えたりするのは気持ち悪いしどうやって避けようかということを考える。そわそわするし落ち着かないし、しかし偽悪的になることも結局やっていること同じだし、というかわざわざ正しさなんて死ねっていうそういうキャラクターを演出するためにそういう発言するよりは、偶然的に自意識発露しちゃった正しい話しましょう系のほうがまだまともだとすら思う。ようするにすべての善と正と夢と希望とポジティブを一直線に突き抜けて生にするしかないのだ。そうしなくてはいけない、すべては。
    
ブログは鬼のように更新していく予定です。それぐらい暇とかそういう話じゃないです。でもブログの文章みたいな仕事がたくさん来たらいいし、ブログの書籍化だっていつかしたいと思っていますのでどうぞよろしくおねがいいたします。