それでも町は廻っている

漫画「それでも町は廻っている」が終わってしまった。私はこの漫画が本当に好きで、手放しで「好き!」と空に向かって言いたいぐらいに好きで、だからこそ、終わってしまったら私は本当に心に穴が開いてしまうのではないか、と不安で不安で、その悲しさで泣きながら読み終わるかもしれない、とここ数日覚悟だってしていたのに、今、読み終わって、確かに予想通り泣いてしまって、でもその理由は不安でも悲しみでもなく、おもしろい、途方もなく最後まで面白くて、すべてが満たされていくように終わったから。大きなゴールがある物語ではないし、終わらないでくれ、と祈ることはもちろん可能で、サザエさんみたいに永遠という時間軸を生きて欲しいと思わないこともなかったけれど、それでも一方で、この物語が完結しなければ手に入れることのなかった感情が、あったんだよなあ、溢れていた。物語が終わること、それを見届けることがこんなに幸せなことだったなんて思いもよりませんでした。本当の意味での「それでも町は廻っている」。本当の意味で、私の中に、登場人物が、町そのものが、息づき始めた瞬間だった。
故郷や昔住んだ町を、ふと思い出して、今でもあの町は、あそこに住んでいる人たちは、私が何を思おうが、何を願おうが、思い出そうが思い出さないでいようが、全て関係なくただ時間の流れとともにあり、あるところは変わっていき、あるところは変わらないでいく。自分の瞳にとびこんでこなくても、情報が入ってこなくても、その町にも時間が流れているのだということを考えて、さみしいけれど、心強くなるようなそんな感覚って確かにある。生きていると、知っている町は増えていくし、そうして人の気配を、生きるという行為だけで、時間を過ごしていくという行為だけで、ふと感じ取ることができるのは幸せなことだ。時間そのものがただの数字ではなくなっていく。
この漫画によって、この漫画の完結によって、私はそんな町をひとつ、手に入れたような気がしている。もはや登場人物の行動を新しく知ることはできない。人間模様がどうなっていくのかを、はっきり知ることはできない。最終巻でも新たな不思議は登場し、未来の気配も残している。それでも、それはあくまで気配で、確定などされてはいなかった。今から見える私の未来と同じように不確定だった。期待や不安だけがある。終わりはすべてに決着をつけることでも確定させることでもない。丸子町(この漫画の舞台)の全ての部屋の時計が、全ての人の腕時計が、終わるその瞬間も動き続けていた。その状態で「さようなら」と言ってくれたならば、私はこの町を、永遠に生き続ける町として、お別れすることができる。これからも時間の流れにさらされ続ける私にとってこんなにも嬉しいことはない。

そうしてだからこそ、この物語でついたある1つの決着は、「完結」ではなく、登場人物の「人生の節目」として鮮烈だったなあ。何度もそのシーンを見直して、この全16巻を大切に、大切にしようと思った。石黒正数さん、本当に素晴らしい漫画をありがとうございました。

それでも町は廻っている(16) (ヤングキングコミックス)