夏休みの友

怠けるな怠けるなと思えば思うほど怠け癖は発揮される。がんばらなくちゃと思うほど取り掛かれない。なんでもはじめれば集中できるのに、それまでが長い。他人より怠けものだと思っていた私は、夏休みがなくなるのがいやで先生になろうと思ったこともある(よくぞ思いとどまった)。こんなのが先生になったら社会はおしまいだぴょん。(←おしまい感を語尾で表現してみました)
けれど怠け癖ほど他人に認めてもらえないものはない。もし、「寝続けたらいつまでも起きません」なんて言おうものならと「誰でもそうよぅ」とか言われてホントかいなということになる。誰だって働きたくないし、だらだらしたいわよ、っていうのはそのとおりに見えるけど、実感などしたことがない。怠けたときに聞こえるのは朝の新聞配達のバイク音だし、通勤電車がかけていって、そして小学生の声が走り抜ける。みんなせわしない。社会はきちんと動いているから余計に自分だけが怠け者に映る。みんな本当に怠けたいのだろうか、怠けるよりずっと有意義な日々を欲しているのではないだろうか、と休みの日は自己嫌悪の日に変わるのだった。実際のところは怠けたくても怠けられないというのが社会の現状で、その現状の中であえて自分は怠けているということへの罪悪感が見せる幻想なのだが、そんなものに浸かっていたら罪悪感を負うだけで責任を果たしたつもりになる。本当にだめになるんだぴょん、と森山は思う。(←おしまい感ry)