時々「変身できるんです」とか言い出す女の子は当然のごとく危険である。

私は昔から日本語を読むのが好きだった。しかしその一方で本を読むのは苦手だ。つまりどんな文章だって読み始めればかなり集中して読めるのだが、物によってそれが変わったりすることもない。誰もが認める快作をとんでもないところで読むのをやめたりしてしまうらしいのだが、もともとその人の文体というものに飽きるのがやめ時ではないかとすら思っていた。だから本を読み始めるまでが一番時間がかかるのである。
そういえば小さいころから言葉いじりが大好きだった私は、落書きちょうに思いついた言葉をその速さのままもりもりと書いていたように思える。(もりもりは森山森子とかぶっている)とくに意味は無視した文章ができあがるのだが、そういうことで遊んでいたからいまだに、言葉は言葉として独立させて考えるところがあるのかもしれない。しかし意味を軽視された言葉たちはいったいどこへ行くのだろう。幼い私にとって文字を書くことは単なる手癖だったのだから、言葉たちは浮かばれなかったのだろうか。(といいつつ特に深くは考えていない)
   
でもあんま今もかわらんよな。