早稲田文学夏号に掲載の、栗原裕一郎さんによる論考『虚構という「系」から「きみ」を救い出すこと——最果タヒ小論』拝読しました。『死んでしまう系のぼくらに』の「系」を中心として、デビュー作『グッドモーニング』から最新刊の小説『星か獣になる季節』『かわいいだけじゃない私たちの、かわいいだけの平凡。』まで、大変丁寧に論じてくださっています!大!感!動!
特に、「系」を中心に作品群をひもといてくださったのは大変うれしかったです。私は、タイトルは深く考えずに感覚100%で決めているのですが、「系」という単語を選び取ったのは、本能的だったからこそ、本質的だったと今では思います。(ちなみに「系」は、太陽系・銀河系の「系」であり、英語ではsystemの意味合いです。栗原さんが指摘された閉鎖系の意味合いにもとても近いです)自分のいる世界や、自分以外のすべて、というものを俯瞰から見つめることで相対的に「自己」を見つめるというありかたは、私がものを書くときに頻出するものです。そうした極端な俯瞰での「他への視点」が登場する作品群には、「系」という言葉はぴったりだったのだなあ、と栗原さんの指摘ではっきりと自覚することができました。
私は作品に対して、「読んだ人がどんな感覚になるか」は感覚としてみるようにしてはいるのですが、存外、書いている内容がどういった意味や思考を示しているかなどには異常に無頓着なので、論を読めることは一人の自作の読者になれたようで大変楽しいです。(自分が書きたいのは、読んだ人の感覚を動かすための言葉であり、意味を共有するための言葉ではないので、「どう感じるか」ではなく「どういう意味に見えるか」に対して無頓着なのはいいと思っています。(小説においては、物語を大切にしたいので、そこまで極端には放棄しませんが。)ですので、読んだ方がおっしゃる感想はばらばらでいいし、実際思いもよらなかった解釈で読まれたりしますが(というかいただく感想は大体そうですが)、それはむしろありがたいことです。そこに読む人の「自意識」があり、それが、読書体験の醍醐味だと思っています。私の詩はそのための装置です。)
(栗原裕一郎さんによる最果タヒ小論の感想をツイッターに書いたら、ブログに書けよっていうぐらい長くなってしまったので、ブログにまとめました。)
- 作者: 早稲田文学会
- 出版社/メーカー: 早稲田文学会
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