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きみが友達との楽しい時間のために、ひねり出した悪意について。

本屋さんで友達同士っぽい3人組が、棚に並んだ漫画について悪態をついていく、というシーンを見てしまった。最初、「そんなに仲良しではないのかな? 10年ぶりにあったとか?」なんてことを思って、それからなんだか悲しくなった。悪意に対して耐性がないわけじゃない。悪口ひどい!っていうかなしみでもない。絵柄や帯文に対して「こんなもん誰が読むんだ」「なんだこの帯文!」と、彼ら、とてもとても楽しく時間を過ごしていて、そうだよね、悪意はいつだって楽しいよね、とぼんやりと思う。悪意さえあれば、互いに踏み込むこともなく会話をトントンと進められる。彼らは本屋に一人で来ていたなら、こんな悪態はつかないし、そもそも興味もない漫画をわざわざ見ようとは思わないのかもしれなかった。友達と簡単に楽しい時間を過ごすために、漫画を一つ一つ指差して、悪意をひねり出していただけだ。最初からその人たちの中にねむっていた本質的な悪意でもないんだ。そのことがなんだかしんどかった。
悪意があることを否定したら人間が人間であるその意味も、もはやなくなるだろうと思う。別に、悪意を隠してほしいなんて思わないよ。人間が抱く「悪意」は、善意や優しさや思いやりよりずっと、その人の本質に根付いていると思うから、そうしたものを見せ合うことはむしろ好きだ。友達の嫉妬だとか怒りだとか、そういう悪意を見るのはおもしろいし、嫌いなものに対してずばずばと怒りを表明するその姿は、可愛い犬にはしゃいでいるときよりずっと「その人らしい」とも思う。でも、こうした暇つぶしだけのためにひねりだした悪意、本心でもなんでもない、2秒で忘れてしまうような悪意には、その人の人間性すら宿っていない。歩いている蟻を指先ではじいて時間をやりすごしているだけの、それだけの感覚。ただの惰性だ。そこまで嫌いでもないけど、自分とも友達とも関係がないから、見かけたから、すれ違ったから、そんな感覚で適当に悪意をぶつけていく。自分が悪者にならない範囲で悪意をエンタメとして消費するのは、なんか不気味だなと思ってしまった。そこまでする理由が、友達と楽しく時間を過ごしたいから、それだけだというのは不思議でもあった。他人との会話に娯楽性なんて必要だろうか。でも、もしそういう感覚でいるなら、どうでもいいものを痛めつけるのは一番楽な方法なのかもしれないね。いい話をするより、心温まるストーリーをするより、ずっと簡単に娯楽になるから悪意は話題のテーブルにひょいひょいとのせられる。本気の悪意を人とやりとりするのはどこまでもめんどくさいし、そもそもしんどい。自分が悪者になるのはいやだ。だから、すれ違いにどうでもいいものを痛めつける。自然なことなのかな。どうなんだろう。
   
悪口って楽しいんですよね、と女の人がテレビで言って、なんて正しいんだろうと思った。悪口を言うのは、悪意がとめられないわけでも、悔しくて仕方がなくて慰めて欲しいわけでもなくて、ただ楽しいからだろうし、それを了承した上で、悪意を垂れ流してつくられるコミュニケーションは、その場にいる人は誰も傷つかない最善手なのかもしれない。テレビに出ている人についてさんざん悪態つく人もいて、このひとは私や他の友人がここにいなくてもこんな態度でテレビを見るんだろうかと不思議だった。私たちがいるから、私たちと楽しく会話をしたいから、テレビに出ている人を悪く言うのか。それぐらいの距離感が、踏み込まないでやりすごすだけの距離感が、その人にとってはちょうどいいってことなのか。この場を楽しくしなくちゃって、焦っちゃうぐらい、私たちは仲良くなかったんだっけ?
友達と過ごすのは、「退屈な時間」ぐらいでちょうどいいとか思ってしまう。私はエンタメじゃない、ってずっとずっと思っていたし、会話しているけど、この会話におもしろさなんて求めるのはおかしい、だったら映画館でも行けばいいって、どこかで本気で思っていた。どうでもいい存在を、適当に、すれちがいざまに痛めつけて、どう、楽しいでしょう?とこっちを向いたその人たちは、別に自分を悪人だと思っていなかった。優しさだったり気遣いのふりすらしていたのかもしれない。それが、たぶん不気味にみえていたんだろう。「きみはひどいな」って笑うこともできないし、優しさとして差し出された「悪意」を、どう受け取ったらいいのかもわからない。ポテチは体に悪いっていう、そういう雰囲気を見た目からして出していて、でも、だからこそおいしいんだよね。悪意だって「悪者」ぶっているほうがずっとずっと濃い味がした。その人とやりとりしている、実感があった。だから私は、だらしなくテレビ見てジュース飲んでケーキ食べて、それぞれ内側にある、その人だけのどうしようもない最低な部分を見せ合って、呆れて、それだけで、時間を過ごしていたい。「楽しませる」とかそういうのは、友達なんかの仕事ではない。