友達はいらない

7月は小学校の時の友達の誕生月で、ふとした時に思い出すけれど、その子とはすっかり縁が切れてしまっている。人とながく付き合うというのはそれだけでも大変なことで、奇跡だって言えるのかもしれないけれど、ぶつんと切れた縁だって、それはそれでいいものだと思うのだけれどどうなのだろうな。彼女の性格だとか顔だとか、もうすっかり忘れてしまって、あのへんに家があったとか、それぐらいしか思い出せない。寂しいという言葉をここにあてはめるのは、なんだか傲慢だとも思う。もう会うことも話すこともない、友人だったひと、という存在は、閉館してしまった故郷の美術館みたいに、私の中できらめいている。
   
ひとというのはさようならしていくのが自然の流れだと思うし、永遠になかよくしていられるというそういう勘違いで得られるのは安心でも、平穏でもないような気がする。しんどいよ。一人で生きていけるとかそういうことは別に思わないんだけれど、かといって、たくさんの人にやさしくされながらじゃなければ生きていけないとも思わない。美味しいものを食べる日もあればそうでもない日もあるぐらいに、人間に対しても気まぐれでいいとか思うんだよな。尊重するべき、って散々言われるんだけれど、でも、私はやっぱり他人のことを自分と同等の存在としてみることはできない。だって、自分と違って内面も聞こえないし、感情すら表情でよみとらなくちゃいけないし。疲れるよ。なんだあの生き物、っていつもおもう。人間は、人間ですらちょっと消耗品として触れている所があると思うよ。だから、遠くなっていくことも、近くなっていくことも、好きな分量で決めてしまっていい。私は今はそう決めている。とても親しいと思う友人とは、本当に2年に1度ぐらいしか連絡を取らずに、最後にあったのは3年ぐらい前だった。その子とはたぶんまだ切れてないけれど、まあそんな態度だし、そのまま切れてしまう縁というものに、さみしさなんて感じるのはあまりにも身勝手だな、と私の場合は思ってしまう。っていうかさみしさなんて別に、そこにはないな。そもそも。そういう関係性は薄っぺらいっていうひともいるけれど、薄っぺらいのがちょうどいい人もいて、それがたぶん私。みっちり、ずっと一緒に居なきゃいけないなんてただの地獄じゃないですか。
  
「さみしい」という感情に、だれかがそばにいるかいないか、なんていうのはたぶん、まったく関係がない。自分が楽なリズムで、孤独になったり、孤独をやめたりできるのかっていうことのほうがずっとずっと重大だと思う。自分の都合の良さみたいなものを、どれぐらい保てているかっていうこと。冷たいこと書いているって言われそうだけれど。私が一番寂しいと思ったのは学校に通っていた時だったし、やっぱりそれは疲れ果てたからだった。クラスメイトと毎日顔を合わせて、何人もの友達がいて、親しくしていたし、なんの問題もなかったけれど、掘り起こされていく孤独みたいなものはあった。家に帰っても、眠っても、どこまでも誰かとの関係性っていう揺れ動く水面みたいなところにしか立つことができなくて、「私」が日に日に曖昧になった。そんなところで一人で考えたりしてみたって、結局他人から切り離した結果の「一人」として存在するしかなくて、なんか生まれた頃とは違っている。明らかにニュートラルではなくなっていた。自分というものがもっと大きなものの一部分としてしか機能していない感覚。それなのに、私は私を中心にしか見たり聞いたりできないしさ。そういう自分が他人のものになってしまったような気持ち悪さが、当時「さみしさ」として身体中にはりついていて、ああ、友達いらない、と本気で思った。いらないって、言ったって、0にしたいわけじゃないんだけど。
人にどれぐらい近づいていられるかとか、一緒に居られるか、というのは本当に、ただの性格の問題だと思う。私はほっといてほしいと常に思っているし、そういう態度が心地よいと思ってくれる人じゃないと友達にもまずなれない。ということで、学校の友達とかほとんど縁は切れているし、まあそういうものだよね、とどうしてか冷静でいる。「さみしくない?」って言われることはあるんだけど、昔に比べて、さみしさを感じることなんてほとんどない。人付き合いが悪い、とか、あの人は人間嫌い、冷たい、みたいな扱いをされることもあるんだけれど、別に人間といっしょにいることすべてが辛いわけでもないんだよなあ。めんどくさいときはめんどくさい、というだけだった。他人はそうでもないのかな。人とずっと一緒にいるのが平気っていう人ばかりなんだろうか。たぶん、私は、誰とも接点がない、孤立した生活、というのをしたことがないから、ひとりぼっちというものに対して恐怖心がないんだろう。そのぶん、必要以上に誰かと一緒にいるのがめんどくさい。それだけの話。「冷たい」という言葉は多分価値観の不一致によって生じていて、だとしたら私もこの人のことを「冷たい」と今思っているんだろうか。まあ思っているからこそ「めんどくさい」なのかもなー、とか考えたりする7月です。