だれが科学を支えるべきか。

お金持ちしか研究者になれない時代に逆戻りかなぁ、と思う。末は博士か大臣か、なんていわれていたけれど、賢ければだれでもなれるものでは昔は決してなかった。研究者になりたいなら、お金持ちの娘さんと結婚しなさい、なんて冗談があったし、実際お金がないと研究を続けるのは困難だ。国立大学の授業料は昔から上がっていく一方だし、今では大学が行っている免除とかも独立法人になってからなかなか厳しい扱いになってしまった。院生になると、学振など支援してくれるところはあるし、アルバイトをすればちゃんとまかなえるのだろうけれど、一方で欧米の大学院生はTA(ティーチングアシスタント、主に大学の授業のアシスタントをする)の給料だけで十分生活ができ、仕送りも必要がなくなってしまっている(つまりちゃんと自立ができる)。研究に関係のないアルバイトに時間を割く日本の院生が欧米の院生よりも研究にのめりこむことができていないのは明らかだろう。しかし本当に問題なのはそこではなく、日本と欧米の学生を支援する機構に関して大きな違いがあるのだ。支援に世論の声が混じるか、どうか。海外のTAのシステムについては詳しくはわからないが、常識的に考えてTAは教授のアシスタントが主なのだから、研究室や大学院などからその給料は支払われるのだろう(アメリカだとかは有名大学がほとんど私立です)。だとすれば支払う側に、若手研究者の未来を支える意義や、研究自体の意味への十分な理解がある。つまり大衆に対して理解を求めなければ研究ができなくなる、なんてことが発生しにくい。けれど日本の支援の場合、その支援機構に国や地方が関与するものが多く、今回仕分けでも問題になったように、税金がかかわる限り、世論が強く作用してしまう(ただし、税金のことであるかぎり世論の声が重視されるのは当然であるとも書いておく)。別にこの記事は仕分けについて云々を言う気はさらさらなく、ここで問題にしたいのは本質的な大衆と科学の問題だ。何百年も先になるかもしれないが、将来、「なんの役に立つのか?」という大衆の問いに今よりもっと説得力のある答えが必要になり、それが科学の命運をにぎるかもしれないことは目に見えている、そのことを問題にしたい。
以前「「なんの役に立つんですか?」の暴力性」という記事を書いて思ったことは、税金を使っている以上、彼らの問いに「おもしろいからだよ!」とか「好奇心が私に研究をさせるんだ…」とか、そんな研究者の本音を伝えたところで決してそれは答えにならない、ということだ。「役に立つなんて知るか!」っていうのが極端な場合、研究者の本音かもしれないが、それでも税金を使っている以上ちゃんと答えなければならない。それで私が書いたのが、未来への可能性であり、科学のそれぞれの分野を意図的に淘汰することの無謀さだった。けれど、それはあくまで大衆に対する科学への許容を求める説得で、本質的な科学の意味とは遠いかもしれない、そういう気持ちが記事を書きながらもどこかにあった。
はっきり言ってしまえば、大衆に科学の進歩を許容してもらうのは不可能だと思う。みんな今の科学に満足して、進歩の必要をかんじないから。普通の人がふと疑問に思う自然現象にはほとんど答えが出てるから。ニュートンの考えが厳密には間違っていたなんて知らないから。科学が今進歩しているのだ、ということを知識としてではなく実感としてつかみとれているのかも、あやうい。ノーベル物理学賞をとった益川先生も、素粒子研究のことを高校生のときに知るまで、科学の進歩は昔のものだと思って興味がなかったと言っていた(でも、素粒子研究という、今この瞬間に進歩している科学にはじめて触れて、ほとんどしなかった勉強を必死でやって、名大に入ったという)。つまりきっかけもなく、普通に生活していれば、現在進行形で科学が進歩しているのだと言うことをなかなか実感できないのだ。昔のように「太陽のまわりを地球は回ってるぞー!」とか「違う重さのものを落とすと同じ重さで落ちるぞー!」とか「質量保存やで!」とか、そんなわかりやすい発見であれば、へーって思うだけではなく進歩に実感がわくし、今、人類は新たな真実に行き着いたのだと感動もできる。今のようによくわかんないけどすごいんですね、っていうのとは確実に違う。ただし行き着いた真相が第三者にとって実感しにくい、ということ自体はなんら問題ではないし、むしろそれは、「なぜ星は動くのか?」といった「だれもが思い浮かべる単純な問い」を解決してきた科学から、「部外者には思いつくのも難しい問い」を解決する科学へと進歩した証であると思う。部外者を置いていくということは、それほど遠いところまで科学が羽ばたいているという証なのだ。
個人的には、以前の「なんの役に立つのか」という大衆からの問いに必死で答えを見つけるよりは、もっと科学に対して理解のある企業や個人が、ある意味「個人的」に研究者を支えていくようになっていけばいいと思っている。これから科学はさらに突き進んで、大衆にとっては「そこまでいったらもう進歩しなくていいんじゃないの?」なんてことになるかもしれない。そうなってしまったとき、滅ぶ道を選ぶしかないようなことには決してなってほしくはない。
   
追記:まあ勢いで書いてしまいましたけれど、個人的な支援にはまた別の問題があるとは思うんですけどね……今回は国が支援するには限界があるよ、ということを書きたかったので省きました。欧米のTA制度にも私が知らない問題があるのかもしれないけど、調べても生々しい実態まで知るのはなかなか時間がかかりそう。あ、でも確か欧米の院生のほうが生き残るのが大変らしいですね。おちこぼれしやすい。