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夢の跡と夢の後

ああ。花椿賞の授賞式の直後から書き始めた小説がちょうどさっき書き終わって、完全にランナーズハイ状態でブログを書いています。ぼくはやりきりました。もうなにもしたくないですが、いろいろ犠牲にして書いていたので、むしろいろいろやらなければいけません。なぜ急にこんなタイミングで書こうとかおもってしまうのだろうな。ちょうど1週間だったけれどなんだか途方もない時間が過ぎたような気がする。170枚でした。あんまりに思い出深いから、こうして日記を書いているのです。日記の本質を捉えたやり方だと思いませんか?(誰も思わない)そのうち幾らか時が過ぎてあのときかきおわったのかとおもっているのかもしれません。いや知りません。本当、この書き終わった直後がいちばんくだらないことを書き散らかしてしまう時期でして、誰かと作品を共有して話したいのに、まだ誰も読んでないし、私の知っている彼ら(登場人物)の話を誰かとしたいという一心でなんでもかんでも書きなぐる。ああ。書き終わるまでは、早く終わらせたいってことしか思ってないのになんでこんなことになるのか。謎だ。とにかく今私は何かが抑えきれなくて、うぎゃー!ってパソコン投げ飛ばしたいです。
   
終わった瞬間が全てを美しく見せているだけじゃないかという説を今出さないでください。なぜか終わらせたい終わらせたいとぐちぐち言っている間は、ぐちぐちとしかみえないのに、終わった瞬間ぱつっと結晶になったような感じがするの本当によくありませんね。結局それ開放感やねいけ、と思いますよ。やないけってなんやねん。
先日、資生堂の現代詩花椿賞の授賞式でした。ありがとうございます…!(今回は関係者の方達のみの非公開でのパーティーでした)選考委員の佐々木幹郎さんは、8年前、中原中也賞をいただいた時も選考委員をされていて、その時のことを踏まえた選評が、本当に、本当に光栄で、いまでもずっと響いています。第一詩集『グッドモーニング』を評価してくださった方が、こうして『死んでしまう系のぼくらに』も評価してくださったこと、うれしいです。うれしい。花椿勝受賞者贈られる、香水入れとも初めましてをしてきましたよ。毎回、違うデザインなんですよ。私だけのものなのですよ。だからこそ花椿賞あこがれていたという部分もあるんですよ。私と一緒に暮らすこの子は、スカートのようなまるみのあるフォルム。かわいいです。なんだか香水入れって香りそのものが形になったようです。透明で、それでいて模様があって。ガラスって正解ですね、なんて思いましたよ。
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龍みたいに見える模様は「マカラ」です。水の神であり、1000の言葉を話すとされていたころから日本では原稿用紙の模様になっていたこともあるそうです。草花とともに言葉が溢れ出るような模様がまたかわいくて素敵です。大事マンブラザーズ以上に大事にする。
   
賞をいただいた詩集『死んでしまう系のぼくらに』には「香水の詩」という作品が収録されています。香水、それにお化粧や洋服は、夢のような魔法のような存在でありながら、確固たる「現実」でもあって。非現実ではなく、あくまで持ち主の「現実」と共にある。私もそういう詩を書けたらなんてことを思います。記念に、詩をここに引用します。
   

女の子の気持ちを代弁する音楽だなんて全部、死んでほしい。
いろとりどりの花が、腐って香水になっていく。
私たちが支配したいのは他人の興奮だなんて、
どうしてみんな知っているの。
豊かな化粧品・洋服。私たちは誰にもばれないよう、
獣に戻りたかった。
うすぎたない肌の匂い。火事にとびこんだらすぐに、
裸にならなきゃいけない。そう習った夜。
死ぬな、生きろ、都合のいい愛という言葉を使い果たせ。
   
「香水の詩」最果タヒ

   
これからも精進いたします。ありがとうございます!!
   
死んでしまう系のぼくらに