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震えすぎて震える言葉

iPhoneでアプリを長押しすると震え始めますよね。消せたり動かせたりしますよね。あんな感じで原稿中は文字が震えている感じがあり、外に出す、発表するという行為はそれを止めるという感じに近いです。止まってしまえば震えていたこと自体がなんだか嘘だったようにも思えるのですが、答えがあるようにその時だけは思う。最良のタイミングで止めようとする。しかし案外1ヶ月後に読むと、悩んでいるところはどうだっていいところだったりするのだよなあ。それでも、こちらの状態で止まったならこちらに意味があるのだろう、と、もうそのときの勘をよしと思うしかない。
   
体調によって微妙な部分、語尾やら句読点やらの感覚というのはずれていくし、料理人におけるソースで描く絵のちょっとした弧の描き具合ぐらいの差異だったりもするのだけれど、そのときそのときが、onlyであり、それ以外にはなかったのだ、これがその時のonlyだったのだ、ということだけは重視することにしている。昔の原稿なんて読んでいると、それなりの波みたいなものは大して変わらないから、「ああ、はいはいはい」と読むし、このブログ記事だって昔であろうがなんであろうが、とにかくおおよそ変わってないのは笑えるぐらいなんだけれど、ときどきどうだっていいところが気持ち悪くてなおしたくなる。チョコレート食べたら、なんか今日だけちょっと甘さにぐえっってなった、ぐらいの話なんだけれど、こういうことがあるから原稿に時間をかけてはいけない、私の場合。と、いうのはそもそも私がほぼ無根拠に文章のぶれを固定していくからなんだけれど、決めない限りは永遠に震えるのだ。ちょっと震えているぐらいの言葉が好きなのだ、それは書かないと読むことのできない言葉。震えているからといって、どこで止めるべきかといった絶対の答えがあるわけではなく、ただ震えている。他人の言葉だとそうは見えない。そして、固定することではなくて、震えている言葉を作り出していくことが私には書くという作業のメインであるようにも思う。さっさと外に出して、固定してしまえば、私もそれ以上こだわらないし、きっと、震えている間ずっとうんうん粘ることは言葉で縄跳びしているようなものなんだろう。縄跳びでジャンプしていいタイミングがほんの一瞬しかないわけじゃない。いつか足が引っかかってずっこけたそのタイミングで、ここだ!とか言い出しても困る。ただくるくる回転する縄を、震える言葉を、書いていきたい。
    
全てに根拠があり美学があり、ロジックがあればこういうことはないんだろうけれど、私はそういうのが本当にないので、たぶん読むどの人たちよりも、私は私の文章の癖に気付いていない。思考が追いつかない速さで書き切っていくのが私にとっては一番ベストで、そういう勢いが最後まできっと保てたのが最近発売している小説『渦森今日子は宇宙に期待しない。』なので、どうぞよろしくおねがいいたします。(しれっと宣伝する系のぼくらに)
    
渦森今日子は宇宙に期待しない。 (新潮文庫nex)