狂わす人、狂わされる人

 月島が好きでそのことは以前にすばる2022年4月号で書いて、それこそ「見届けたい」と書いたから、最終回を読んだ後、月島について改めて書こうと思いました。また、ゴールデンカムイの作品そのものについては以下の記事で書きましたのでぜひそちらもよろしくお願いします。
連載 第八回:殺人÷罪悪感 | BE AT TOKYO - BE AT TOKYO


 以下はネタバレもあると思うので気をつけて読んでいただければと思います。
 月島は生きる理由を一度鶴見中尉に奪われている。いご草ちゃんが生きているのかどうかわからなくなってしまった時点で、彼は生きる気力を失い、そして死に時さえも逃してしまったことに気づいた。だから月島は自分が生き残ってしまった理由を後付けでも見つけようと、鶴見を「何かとんでもないことを成し遂げられるのはああいう人でしょう?」と追いかけ、忠誠を誓い、鶴見のために働いた。物語の後半で鶴見が月島に、本心から仲間の弔いのために動いているのだ、大きな野心のために動いているのだと信じさせてやったことは、確かに(月島が見ていると知っていてやったのだから)「劇場」的で恐ろしいが、それでもあの瞬間月島は確かに救われたし、それはたとえ鶴見が打算的にやったことであったとしても、月島に確かな未来を与える鶴見なりの誠実な「劇場」だったとも思う。私は、人は何がなんでも生きたいと願うべきだとかそんなことは思わないけれど。月島はどうしても死にたがっているようには思えなかった。それは、月島が一度生きることを愛情でもって肯定されたことのある人であり、その相手は決して月島を裏切らず、きっと今も月島が生きていたら、どこかで幸せに暮らしていたらいいなとふと思っているだろうから。鶴見は実際にいご草ちゃんが生きていることを知っていたし、でも、それを月島に心から信じさせるのは多分都合が悪かった。月島が完全に「自分の未来」を取り戻してしまったら、自分の兵隊としては不確かなものになってしまうから。だから、彼は月島からその希望を奪ったけれど、でもその責任を取るように彼が聞き耳を立てている中で、自分の野心を語った。月島は有用な部下だと思うけれど、彼に鶴見がここまでこだわっているのは、ただ有能だからというだけでなく、月島に対して鶴見は責任があるからだと思う。だから、鶴見は自分を信じることは間違っていないと月島に確信を持たせた、希望を持たせた。鯉登は月島を解放してほしいと願い出たけれど、鶴見ができる「解放」はあれしかないのではないかと思う。鶴見には月島は必要だし、そして鶴見が月島に与えられる希望は、自分の兵隊として生きたことを「選んでよかった」と月島に心から思わせることしかない。彼に見せていた夢や幻を消してしまうことでは絶対にない。鶴見はそれこそ、戦地で将校として生きるしかない人なのだ。
 鶴見は将校としてしか、月島を救ってやれない。そうして教会で語られた鶴見の野心は、鶴見の本心とそこまで相違はなかったとも思う。それもまた鶴見が、もはや仲間たちの魂や希望を背中から下ろして一人の人間として生きることは絶対にできない人生を生きているからだと思います。鶴見は、心から家族の死を悼みたかっただろう。復讐をしたかっただろう。個人的な願いが、仲間の弔いより下回るものでは決してなく、それは本当に大きな彼の願いだっただろう。でも、彼にそれだけを願う自由はもうなかったのだと思う。仲間たちの希望を作り替え、強き兵士として生まれ変わらせ、自分の元で死なせていったからこそ、彼は責任を背負い、それを果たしてきた人だった。だから、最後に家族の骨を選ばなかった。それはどちらが大事だったからとかではなく、将校としてその願いのために生きてきた彼は、そこで死んでいった仲間たちをもはや裏切ることができなかった。選ぶ自由をすでに持たなかったのだ。鶴見は、将校として以外の自分を捨てていくしかなかった人だ。そうやって生きることで願いを叶えようとし、そしてその結果、自分の願いを最優先にすることができなくなった。鶴見の選択が何よりも一番私には苦しくて悲しかったです。やっと全てがわかったような気がしたし、それでも、鶴見が希望を見せ、(月島の中で)理想的な将校のまま死んでしまったからこそ、月島の中にあった希望は残り続け、そして次の未来に向かうことを月島は自分に許すことができたように思うのです。


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Be At Tokyoに書いたゴールデンカムイについてのエッセイ(WEBで読めます)
連載 第八回:殺人÷罪悪感 | BE AT TOKYO - BE AT TOKYO