インターネット蕁麻疹

 

書くことは孤立することなのだと思っていたのに、いつの間にか孤独なことだ、ということになり、孤独は遠くの誰かと共振し合うように誤解をし、それらは何かを埋めていくように思えて、本当は何も埋めてなどおらず、そのことに気づくことができないと、空気を読むことが書くことであるかのような錯覚に陥る。

孤独とはつながりを求める理由なんかではなくて、世界を拒絶するための理由にしかなりえない、あなたたちのことが嫌いで仕方がない、と言うために必要なものなのだ。正当な理由で他者をすべて否定することはできないし、それができると思い込むなら、そのとき自分はただ暴力を振るいたいだけだと思う。そうではなく、すべてにおいてうんざりする、嫌いで仕方がないと思うその自分を、軌道修正しようとする「まともさ」を殺さなくちゃいけない、そんなのは本当は「まとも」ではない、空気を読めばいいんだろって考えるような軽薄さだ。世界中の人だってどこかでは他者にうんざりしていてわたしのことが理不尽なほど嫌いかもしれない、ということを許さないような「まとも」を信じるなんて馬鹿げている。わたしは、空気を読みたくない、絶対に読みたくないし、嫌われたいとか好かれたいとかそんな発想もしたくない。人の視線が自分の内側にまで存在し得るという考え方がまず自分を不自由にするし、それを許さない空気は無理だ無理。ここ最近、ずっと蕁麻疹が出ている、これが蕁麻疹であることに最近やっと気づいた、自分が何に圧迫されているのか全くわからないが、ここに書くことでまるで今の空気にストレスを受けているようにも見える。

 

zoom飲み会の話を聞いたとき気持ち悪いなと思った、友達がいないことに改めて気づくことが多かった、みんな寂しいというけれど寂しそうに全然見えなかった、寂しいという言葉がコミュニケーションの一部として発生するようになったからだろう、寂しいと言うことに意味があって価値がある時期なんだ、とおもう、ネットを見て、何も書けなくなる瞬間にこそ孤立が現れて、そんなことになるならもう、SNSなんて滅びろよ、と思ったのだった。

絆や繋がりに対する気持ちの悪さは昔からあったし、それは世界における建前であって、建前を語ることが自分自身のためにも必要だ、という人は多くいるし、わたしはそのことまで嫌だったわけではなかった。ただその建前と自己の間にあるものに苦しんでいるのではないかと思って、そこで出る言葉は「寂しい」であったかもしれないが、寂しいは誰かに会いたいという意味ではなかったから。今は全くそんなことはありませんね。会いたくて仕方がない、物理的に不可能になった時そういう意味での寂しさばかりがネットに現れるのだなあと思う。なぜなら発信が解決につながるから、だから発信に必然性がありそれらは優先されていく。発信しても無駄な気持ちや考えは発信されなくなるがそれは不健康なことだと思う。


共有される、共感されるような寂しさや怒りしか、この場所にはもはや存在できなくなってしまったのかな。生活における苦しさや痛みの発露は、誰かに励まされたり共感されることが必須であるように錯覚をする。それは仕方がないことだ、この危機的状況において、助けを求める人の声を、助けたい人が聞き取れるというのは、インターネットの今必要とされている側面なのだと思う。わたしも気づけて良かったと思うことは多々あった、助けたい人はいるし、助けられるのだからインターネットは捨てたものじゃない。ただ、誰も助けたくないような、くだらないとしか思わないような、でも当人にとっては叫ばずにはいられない痛みや苦しみが、本当に身を潜めてしまっていると感じる。他人にとっては大したことのない「今言うべきではない」しんどさや苛立ちが、減るはずもないのに見えなくなっていると感じる。他者が聞いてやりたいと思うか、助けてやりたいと思うか、なんてことがその気持ちが存在していいかを決めるわけもなく、むしろ、その気持ちが垂れ流せるだけで救われることがあるはず。それさえ今許されないとしたら、その人たちは今ずっと「寂しい」のではないか? 「書く」ことより、「書けない」ことの方が今はずっと孤立している。

 

わたしは、理由があって怒らなくてはならないタイミングで怒るのが嫌いだ、それはやらなくてはならないことで、出陣でしかないからだ。わたしがわたしでなくても、怒るはずのことだけれど、わたしの身の上に起こったから、わたしが立ち上がらなければならない、という類のものだからだ。それらは絶対にやらなくてはならないし、やるけど、むかつくしやるけど、でもわたしはもっと理不尽で矮小な人間だったはずだし、そこに火薬ぶちこんで爆撃させなきゃ生きてないだろ?と思うのに、怒らなければならないことが多すぎて時間が足りなくなる。そういうつらさに消耗される。インターネットを見ていると、そうやって周りの人は追われていると感じる、周囲がとてつもないスピードで正しく誠実になっていく、そうせざるをえない状況に追い詰められている。そんなふうに思うのはわたしだけかもしれない、他の人は理不尽なことなんて身勝手なことなんて、頭に過ぎりもしないのかもしれないが、インターネットが、そして、何よりそうならざるを得ない状況が、個人が個人として存在することを妨げていると今は思う。

どうしようもなく誰のことも嫌いだと思う時間が増えたし、それは新たに生まれた感情ではなくて、前からあったけど行き場がなくなってきているということだろう。こういう時に人間性が出るよね、という言葉をテレビで聞いたけれど、自分の矮小な人間性が、どこにも抜けていかなくて、ひたすら手元に溢れ続けることに耐えられなくなる人はきっといる。インターネット、正常に戻ってくれ、正常にくだらなさを垂れ流してくれ、などと願うのもまた違うが、今が「まとも」なわけではない、ということは絶対に、絶対に言いたいと思った。

       

     

 

 

 

大丈夫、嫌いだよ。

誰のことも嫌いだな、と思うことは時々あるし、そういう日のために私は昔誰もいない図書室に立ち尽くしていたのだと思う。誰のことも嫌いだけど、誰も私のことを知らないと、本に囲まれるとよくわかる。百年以上前の本、海外の本、死者の本。嫌いだからって焦らなかった、私には私しか結局はいないから。
嫌いな気持ちに対してどれくらい「いいんだろうか」と不安に思うのかが、世の中的な、精神の成熟度を表すのかなと最近は思う。でも、嫌いだからって攻撃しようとは思わないし、蹲って「嫌いなんだよごめんね」と独り言言うような感じだから、私はずっと焦らずにここまできたし、これからもこのままがいい。
   
別にこんなことを書いてどうしたいんだろうと思う、愛が生活を満たすことや愛で人生をどうこうするという話を聞いていると時々とてもくだらないと感じて、何を当たり前な事を言っているんだろう、と思う。だいたい人はほとんどが当たり前のことしか言わない、あとは狂ったこと。当たり前でも狂ってもないことを言う人がいないと感じるとき、退屈で頭を掻き毟りたくなる、ごめん、嘘だよ、世界は楽しいね。愛を貶すつもりはないし、うん愛しましょうねと思うけれど、いつまでその話をするんですか?まさかそれで全てが済むと思っているの?愛が貫くのは個人の生活だけだ、個人の生活だけではこの世界が成り立たない、私の人生すら成り立たない、都合よく人生を切り抜いて、愛に似合うようにすることを私は好まない、理由もなく誰も彼もが嫌いなとき、愛は不足しているわけではなく、意味をなさなくなっている。愛しているのは当然だ、別に死なせたくはないし、良い人生を全ての人が歩めば良いと思うよ、嫌いで仕方がないけれど。私が嫌うことはあなた方には関係のないことだし私は何も阻まない、どうぞ幸せになってくれ。愛の話ではないんだ、ということにいつまでも気づかないふりをして、人間は退屈になるのだろうか、老いていくのだろうか、美しい日々になるのだろうか。つまんなそーだな、と、どうしても思う。全ての人が嫌いな夜は。

「銀河の死なない子供たちへ」下巻

施川ユウキさんの「銀河の死なない子供たちへ」下巻に、帯コメントを書かせていただきました。

きみは、どうせ死ぬのに、
どうして、誰かと共に生きるの。
愛でも希望でも諦めでもなく、
そこに「勇気」という答えをくれた、この作品は宝物です。

私は帯に言葉を寄せる時、特に漫画の場合は、言葉でいろんなことを書き綴ってから、最終的に残ったものをコメントにすることにしていて、今回は、「銀河の死なない子供たち」を読んで、コメントができるまでに考えていたことを、こうしてブログに残そうと思う。なんか新しい。気がしないでもないがたぶん気のせい。当たり前のようにネタバレがあります&めちゃくちゃおもしろいから先に本を読んだ方がいいと思う。そうじゃないともったいないです!!!
   
以下、今回はメモ的なものなので断片的だよ。
    
    
作品の冒頭、「はじめに言葉ありき。宇宙が終わる最期の瞬間、そこにあるのも言葉だけなの」というセリフがある。言葉だけが永遠で、世界が終わったとしても、誰もいなくなったとしても、言葉だけは残るのだろうと。言葉を発する存在の死は、だから永遠に、生き残ったものの心に突き刺さる。永遠に生きていく体をもつことができても、十数年しか共にいなかった人の存在を忘れることはできない。
(この物語は、不死身の体を持つ子供「π」と「マッキ」、それから二人を見守る「ママ」の物語だ。地球上には動物はいるが、人間は見当たらず、文明の痕跡だけが残っている。ママには人間がいた頃の記憶が残っているが、「π」と「マッキ」にはそんな記憶はなく、人間というものを目にしたこともなかった。そんな二人の前に、ある日、宇宙服をきた女性が現れる。彼女は一人の女の子「ミラ」を産み落としすぐに死んでしまった。そうして、二人には赤ん坊のミラだけが残されたのだ。ミラという「あっという間に死んでしまう人間」とのはじめての交流が、そうして始まる。そうして、きっと、あっという間に終わる。ママはふたりに大きな悲しみが訪れることを恐れ、体を病んだ「ミラ」に不死身にならないかと提案をした。けれど、「ミラ」は、πは、そんなに弱くない、と答えたのだ)
  
生きる限り、何度も別れは訪れる。その別れは孤独を呼ぶ。たとえそばに誰かがいたとしても、人は本当の意味で孤独から逃れることは、決してない。生きる限り、孤独はかならずそこにある。
だから家族を、人は作るのだろう。孤独を打ち消すためではなく、孤独に生きる勇気を得るために。死の際、ミラはπにもう自分は死ぬであろうことを伝えた。「私は人間なの。π。だから…だから私死ぬの。ごめんね」別れの、挨拶。恐れても、不安でも、死にたくなどなくても、それでもやってくる死の淵で、ミラはπに別れを伝える。「ミラちゃんはとっても勇気があるね、えらいね」πもその言葉をしっかりと受け止めていた。それは、二人が家族だったから。ミラは死にたくなどない。πはミラを失いたくない。それでも、別れを迎える勇気が、二人にはあった。孤独を埋め合うための関係ではなく、自らの孤独を、相手の孤独を尊重しながら、共に生きていくことができたから。二人は、確かに「家族」だった。
    
  
ママについて。
人類が地球から出て行くことを知り、たった一人で地球に残ることを恐れ、死にかけの子供(πとマッキ)に永遠の命を与えたママ。ママにとってそれは絶対的な「罪」だった。子供達は、ママがいなければもう死んでいたのだし、決して罪とは言い切れないけれど、不死身によって苦しんできたママには耐えきれないものだった。ママの孤独は、最初、永遠に一人で生きるというそのことの孤独だったと思う。その孤独を思いやる人もおらず、なにより、同じ時間軸で過ごす人もいない、孤独が、誰の目にも映らずにいた。けれど、今はマッキがいて、πがいて、ふたりはママの家族だった。ふたりはママの不死を知っていて、ママの不死とともにありつづけることもできる(そしてだからこそ罪の意識は膨らんだのだと思う)。ママの孤独はそうして、次第に形を変えていった。ふたりは、ママをおいて、いつかどこかにいってしまうかもしれない。たとえ場所は変わらなくても、命に触れ、生きること、そして死んでいく生命に憧れ、自分の今のありかたに疑問を抱くかもしれない。そうして心が離れていくかもしれないし、永遠の命を与えた自分を、恨むかもしれない。そうした予感が、今のママを孤独にしていた。けれど、だからこそ、ママがふたりを不死身にしてしまったのだと告白した時、マッキとπはやっと、ママの孤独に寄り添うことができたのだと思う。やっと、直視することができた。ママの孤独は、もう、「誰も知らない」ものではなかった。3人は、そうして「家族」になったのだろう。
最終回でのマッキの選択は、その経緯によって生まれたものだと思う。これまでと変わらないように見えて、けれど、全く違っている。ママによって決められた「日常」ではなく、マッキ自身がその日々を選ぶ。ママの孤独を、見つめることができたから。
   
   
ミラについて。
死んだら海に流してくれと言おうとしていたミラは、最後の最後で、母親のお墓に行くことをのぞんだ。顔も知らない母親。母親が、自分を産み、死んだという場所を、彼女は訪れることを望んだ。生きることはどこまでも孤独だ。それなら、死はどうなのだろう。生き物は死んだら星になる、とπとマッキが語り合うシーンがある、そうだとしたら、もしもそうだとしたなら、みな、ともにいることができる。もう永遠に別れなど来ない場所で、ともに存在し続ける。そうした安らかさを、死に感じてしまうことは少なからずあるだろう。そんな予感が、ミラに墓参りを選ばせたのではないか。たとえ顔を知らない母親でも、死によって「ともにいる」ことができるのかもしれない。生きていく「家族」とはそれはまったくちがうものだ。混ざり合い、溶け合い、そうして不変のもの。永遠の静かさ。安らぎ。季節も変わってはいけない、言葉もかわさず、新たな喜びも驚きもない。彼女は、決して、生きてきた時間に不満があったわけではない。彼女は最後まで、「死にたくはない」。けれど生きる時間に限りがあり、そうして、共にいた人たちを置き去りにしてしまうという孤独。別れがやってくるという不安は、あるだろう。そうした孤独から解放される時。彼女は、ずっと自分を待っていたであろう人のそばに行こうと決めた。それは、きっと、πが人として生き、人として死ぬことを望んだことと同じだろう。πは、永遠に生きるというその宿命に打ち負けたのではない。死ぬことはやっぱり恐怖でもある。それでも、ミラがいた。マッキがいた。ママがいた。彼女には家族がいた。だから、そこに立ち向かえるんだ。
ミラに出会う前、πは、死ぬことのない自分、命を繋いでいく必要のない自分を、仲間はずれにされたと捉えていた。それはπにとっての孤独だったのだと思う。けれど、すぐに死んでしまうかもしれない幼いミラを気遣うことで、死の恐怖、命の儚さを思い知ることとなった。だからこそ、孤独であるということから逃れるためではなく、自らの孤独のために、彼女は立ち向かっていく。これは、勇気の物語なのだと思う。生きていくこと、死んでいくこと、そのことに対してのまっすぐな勇気は、命そのもののまぶしさにつながっていく。たとえ不死身でない私たちにとっても、それは見覚えのあるものだ。きっと、ずっと、憧れてきたものだ。
   
  
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ハートネットTV「ぼくの日記帳」

夏休みを迎えて、少しだけ呼吸が楽になった、それでも、その時間はいつか終わってしまうのだ。痛みの存在はこんなにもよくわかるのに、どうして、それに対する言葉や行動は、なかなか見つからないのだろう。NHK「ハートネットTV」では、今日から「ぼくの日記帳」という投稿サイトが始まりました。これまで誰にも言えなかった、言ってはいけないと思っていた、もしくは、話しても誰もわかってくれない気がして蓋をしていた感情を、ゆっくり自分のペースで言葉にしていける場所です。私はその1ページ目の言葉を書かせていただきました。また、その言葉を書くにあたり考えていたことを、今日放送されたハートネットTVにて、コメントとして寄せたので、以下に転載します。
  
  
私は十代のころ、思いつくままに日記を書いていました。インターネット上で、現実の知り合いには誰も気づかれない場所で。誰かにわかってほしいとか、誰かに慰めてほしいとか、そういうことではなくて、ただ思いつくままに書いて、それが心地よかったのです。自分がこんなにもたくさん言葉を胸にいだいていたのだということを、書き始めてから知りました。それまで、思いもしなかったことを書いたこともあるし、そうして未知の自分に言葉ごしに会うことが嬉しかった。
教室ではつい、友達の意見に同調してしまう、嫌だと思うこともなんとなく受け入れてしまって、次第に嫌だと思えなくなる、自分の一部が死んでしまったような気がしていました。他人に「間違っている」とか「正しくない」とか言われるのが怖くて、自分の味方を増やせるように、正しい発言ができるように、言葉を選び続けていました。うまく言葉にできない、正しくはないかもしれない、でも私にはとても大切だった曖昧な気持ちを、そうやって全部捨ててきたのです。私は、自分がただ外面をよくしているつもりでいても、それが内側にまで染み込んで、もう私が私でなくなってきていることに気づいていました。それが何より恐ろしかった。でも、教室でそれをやめることはできなかった。だから私は、書くという行為で、私そのものの言葉が顔を出した時、すごく安心をしました。私の感性は、これで生き延びることができると思ったのです。
だれにも見られない場所で、評価とか正しさとか気にせずに、書けたことが何よりよかった。みんなに合わせて生きていくと、どうしても苦しくなる、辻褄が合わなくなる。自分が自分ではなくなって、処理しきれなくなる気がしていた。今回、このお話をいただいた時、私はそうした苦しかった十代の頃を思い出していました。言葉を書くならば、誰のためでもなく、もやもやとしていてもいいから、わかりづらくてもいいから、そして、身勝手でも、間違っていてもいいから、自分の中にある自分だけの気持ちを書いてくれたら、と思いました。あなたの感性を、守り抜いてほしい。私はそうした言葉が何よりも、美しいものだと思っています。そうした願いを込めて、今回の言葉を書きました。
  
  
「ぼくの日記帳」はこちらから見ることができます。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/831yoru/
また、私の書いた1ページ目はこちらです。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/831yoru/diary/diary001.html
  

お前が見るもの、みなお前。

‪これは感情の一種だと思うんだけれど、「何かを発したい」「しかし何もここには無い気がする」という衝動に襲われることがあって、多分大きなトンネルか筒が自分自身で、風がそこを通り抜けることで、声でも歌でも無い音が発せられるような感じ。そういう時のもどかしさは、そのもどかしさそのものをアウトプットできてこそ、やっと散って消えるものなのであり、だとしたらアウトプットができて時点でもどかしさは変わってしまうのでは?とも思う。(もちろん物を作るということや人に自分を見せることを日常的にしている人なら変わってくるのだろうけれど。)そういうときに手元にスマホがあり、自分の見ているもの、自分にインプットされていくものを、そのまま写真に撮って、アウトプットできるというのは意味があるのだろう。インスタグラムを見ているとそんなことを思う。‬
  
わたしはドラエフォンがでたころが小学生で、PHSを中学の頃に持ち、ソフトバンクがボーダフォンだったころが高校時代で(今でもわたしの尊敬する友達のメアドはボーダフォン、感動しちゃう)20代になってからスマホが現れた。ガラケーのころの写メはほとんど使わなかった。印刷してもよくないし、やっぱり写ルンですかデジカメを使っていた気がする。でもそれでもやっぱり写真ってあんまり価値がなくて、「撮りたい」と思うその時の衝動のためにシャッターを押すから、見直したり、現像したりなかなかしなかった。わたしの家には現像をしないまま十五年が経つ写ルンですが5つあります(英訳せよ問題のような日本語だな)。撮影するという行為はやっぱり自分のものではなかった。テレビとか世界にあるポスターとかが特別で、自分はその真似事をしてるって感じだ。撮影したものに価値はなかったし、なんか無性に腹が立ったな。自分の指とか入ってるともうグロッキー。たぶん、これはカメラの性能とかだけでなく、生活とレンズがどれぐらい近かったか、気軽だったかが関係している。あのころのカメラは手足ではなかったな。自分の手足にはなってなかった。
しかし自分に入ってくる情報をそのままでアウトプットできることなんてそうないのだ。カメラもそうだし録音機器もそうだけど、聴覚や視覚がそのまま形になるのは異様に気持ちいい。それに、クオリティが上がれば上がるほど、自分のことすらも表現できた感覚になるのはなんなんだ?たぶん、今と昔の違いはそこにあるんだろうな。そこで見たまま、そこで聞いたまま、記録できた場合、そこにいた自分の感覚とか、自分というフィルターとかはほとんどゼロになる。しかし一方で、自分の中に溜まっていた、無意味だが重くてめんどくさくてどろどろしたものが、ざばーとながされていった感覚があるんだ。あれが爽快感。たぶん爽快感。たぶん見えていたものが記録として残ることでそこで動いていた自分のひとみ、感情を、いつでも辿れるようになったことが大きい。そういえば十代の頃は、頭の無意味でランダムな思考回路をそのまんまで記録していくのが書くことだと思っていたなあ。読み直したときにあのころの心臓の音とか思い出せたらいいなあって。
  

言葉と、言葉の形について。

言葉というのは言葉単体では本当は存在ができない。声とともに、波としてこの世界に流れ込むか、文字とともに、結晶としてこの世界に流れ込むか。どちらにしても、声や文字の形によって言葉は、言葉以上の何かに変容するし、その影響を無視することはできません。
  
私は詩を書く際、それが縦書きなのか、横書きなのか、散文の形だとしてもどれぐらいの長さで改行していくのかを、コントロールしなければならないと思っています。それは、読む人には言葉ではなく文字として届き、その文字の呼吸が、言葉の呼吸として捉えられていくからです。言葉を言葉のみで見つめることができるのはもしかすれば書いている本人だけかもしれず、それもまた書くという瞬間にしか捉えられない景色なのかもしれません。だからこそ、形となって現れたとき新たに生じた「呼吸」に、私は気づくことができるのかもしれない。本や雑誌に詩を載せてもらったことで、デザインというものが、おおきく詩の呼吸を変えることも何度も経験し、そしてそうした呼吸が、私が捉えていたよりずっとはっきりと言葉を捉える瞬間もありました。デザインは、他者の手によるものです。私は言葉を軸にして、その言葉をどう外へと、壊すことなく出していくかを考えていますが、デザイナーは、外から見る人たちの視線の動き、そして彼らの身体の呼吸を元に、形を作り出します。私が内から外を考えるのとは逆で、彼らは外から内を見ている。通常の詩のデザインは、読みやすさや作者意図を前提に行われたり、掲載場所や色や形式が限られた状況でのものが多く、私はそうした制限の中にあるデザインもとても好きなのですが、もしも言葉とデザインそれぞれが、全ベクトルにおいて自由に、最大限に発揮されたとき、何が現れるのかを知りたくなりました。
  
この夏に群馬の太田市美術館の展覧会の一部として、詩とグラフィックデザインの展示を行います。私が尊敬するグラフィックデザイナーの、祖父江慎さん・服部一成さん・佐々木俊さんに、展示作品としての詩のデザインをお願いしました。言葉が文字という形となるときの変容が、呼吸が、展示室に満ちるものになると思います。それは同時に、言葉が言葉のみであった瞬間も、浮き上がらせるものかもしれません。ぜひ、見逃さないでくださいね。
  

本と美術の展覧会vol.2「ことばをながめる、ことばとあるく——詩と歌のある風景」
会場:太田市美術館・図書館 展示室1、2、3、スロープ
会期:2018年8月7日(火)~10月21日(日)
開催時間:午前10時~午後6時(展示室への入場は午後5時30分まで)
休館日:月曜日(ただし9月17日、24日、10月8日は祝休日のため開館、翌日火曜日休館)
出品作家:最果タヒ、佐々木俊、祖父江慎、服部一成、管啓次郎、佐々木愛、大槻三好・松枝、惣田紗希(9名)
http://www.artmuseumlibraryota.jp/post_artmuseum/2288.html

宇多田ヒカルがいた20年/「初恋」と「First Love」

    
「宇多田ヒカルを聴いて、思い出すのが校庭の匂いなら、きみの幼少期は最高なもの。」
この一節が入っている詩を書いたことがある。私は小学生の頃、生まれて初めて買ったCDアルバムが「First Love」だった。お小遣いほとんど使って買ったそのCD、触る時しばらく手袋してた。新しく発売した『初恋』のビニールを剥がす間、そのことを思い出していた。特別な瞬間があの時、訪れていた。音楽を買うというのはどういうことなのか、まだ何にも分からなかった、それまで欲しいものって、美味しいものとか面白いものとか、ばかりで、なんだかすごく好きで、でも、それがどうしてか分からないもの、そういうものを買うのは初めてのことだった。勇気がいった。それは価値が見合わないからとかそういうことではなかった、高すぎるから、ということでもなかった、自分を自分じゃないものが突き動かしているように思えて、戸惑っていた。私は、私のことをよく知っているつもりだったけれど、もしかしたらそうではないのかもしれない。自分の体が、自分よりも外側へ広がっていく、宇宙や世界と同じものになっていく気がした。
   
音楽がCDという形になっていて、そのパッケージを剥がすというのも不思議な感じ、まるで自分の所有物になったような感じがして、変なの。それで、手袋使っていたのかなあ。さわっていいものに見えなかった。家にあっても、部屋にあっても、自分の机にあっても、音楽は私のものにはならない。なんとなくそうわかっていた。でも、このCDを手にすることで、音楽は、私と同じ時間を生きてくれるのだろう。それは「所有する」ことよりずっと尊いことなのかもしれない。好きだったおもちゃで遊ばなくなったり、仲の良かった友達が引っ越して、手紙もやりとりしなくなったり、終わっていくものが少しずつ増えていく中で、「これから」というものは、私にとってそれなりに意味を持ち始めていたし、だからこそとても儚いものだということを知っていた。だから音楽は尊い。私が忘れなければ、きっとずっとそばにある。忘れたとしても、思い出せばすぐに戻ってきてくれる。そういう「手にする」を経験したのはきっと、「First Love」を購入したときが、はじめて。小学六年生のころ。自分のものにならない、ということがむしろとても愛おしかった、さみしさを消し飛ばす力がそこにある気がした。よく考えれば、すべてのものはすべてのひとは、「私のものにはならない」けれど、「同じ時間を過ごすことができる」。その始まりだったのかもしれない。私はちいさな存在、そうして、私にとっても「今の私」「12歳の私」は一瞬で、消えていく、ちいさな存在。過ぎていくすべてのもの、季節、時間、それらは手をすり抜けていく、出会えば別れがくる、知ったことを忘れていく、好きになったものに飽きてしまう、けれど、私はその先へ行ける。私は「失う」ことなどないから。最初から「自分のもの」にはできないからこそ。私はいつまでもそれらと、ともに「今」をすごすことができる、その可能性を持っている。
   
中学や高校でもっと音楽が好きになって、特にロックが好きになって、心と音楽が共振するような感覚は増えていった。歌われる言葉や感情を、「わかる」と思うこともあった。それはあきらかに小学生の時の音楽の接し方とは違っていたし、あの頃の自分とは違ってきていると思った。私の感性が、校庭の砂が風によって払われて、素肌を晒すようなことだったのかもしれない。でも結局、私はあの頃から私だったのだということを、宇多田ヒカルを聴くと気づくことができる。おんなじではないけれど、確実に変わってきているけれど、でも、時間や世界を通り過ぎてきた「私」は、一本の糸のようにつながって、過去と未来をつなげていっている。あの頃の細胞は一粒も残っていないけれど、私は、彼女の新しいアルバムを聴くと、あの頃のことを思い出す。そうして過ぎてきた20年を思い出すことができる。
   
   
(冒頭の詩の一文は、詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』に収録されています。)