松下竜一「絵本」より

ぼくはもう死んでいくけれど、君が生きて子供の父になるのだと想像すると、なにかぼくすら未来にかかわり合っているようななつかしさに浸るのだ。ぼくの心が君の心とかかわり合い、更に君の子の心へとかかわり合っていく、なんといおうか、不滅の命の流れにぼくも溶けこんでいく、そんななつかしい深い安堵をおぼえるのだ。

「不滅の命の流れ」。
ちょうど当時火の鳥をよんだころだったのでいろんなものが重なって、立体的に思えた。
ただこれを読んだとき、作中の中でのそれはたしかに雄大で重くそして安堵という言葉に共感を覚えたのだけれど
それ自身、つまりは「不滅の命の流れ」というものをふと思い返すたびに心がとてもかなしいような
せつないような
じんと涙腺になにかがくるような気持ちになるのは
それは懐かしさなのか
それとももっと深いところにある
命というものにたいする羞恥心なのか
無機質なものに囲まれて
すっかりごまかそうとしているが
わたしたちは生き物なのだ
生命で
暖かい流れの一粒なのだ
なんだか自分が恥ずかしくなるのはなぜだろう