きみの瞳は100億万ボルト(発電量として換算)

ブログを書いている間はなんだか、思春期の脳内に戻る。どうだっていいことにいちいち刺激を受ける、全部が自分の思考につながっていく、そういう過敏な状況にならないとブログなんて書いていられない。書くことがなくなっていくから、だから、思考の外側に言葉の量を増やしていって、テレビとかラジオとか、見るもの聞こえたものにどんどん言葉を跳ねさせて、反射させて、飛びかわせて、世界中の言葉の運動エネルギーを増やしていくのだ。そうすればなんだって書ける。なんにもなかろうが、なにもかも普通に囲まれていようがなんだって書ける。あれ、よく考えたらこれはブログだけに限っちゃいないな。
  
インタビューみたいなときに、原稿を書くときテレビとか音楽とかじゃんじゃんかけてますよ、と言うと意外そうな顔をされて、ふつうはその逆じゃないですか、という話になることもある。たしかに静かにしたい時もあって、それはそれで大事なのだけれど、たいてい、私が静かな空間を書くためにつくるときは、すでに脳内が静かになりきった時、集中しきっている時だ。集中するためにわざわざ周りの音を消して準備する、なんてことはほとんどない。私にとって言葉は酸素分子とか、そんなものに近くて、周りに飛び交っている。自分だけのものではない、世界に満ちているものだと思っている。そいつらは通常は停滞しているのだけれど、音とか映像とかさまざまな外部からの刺激によって加速度を得て、そして走り出す。私の認識の範囲でそれが跳ね返って、飛び交って、だんだん私も世界もまるごとエネルギーが、温度が、高まっていって、理科が好きな方ならご存知の気体分子運動論を彷彿とさせるけれどまあそれはどうでもいいとして、とにかく外部からの刺激を邪魔だと思うことはほとんどない。静かになると、自分の内部にある言葉しか動かないからなんにも面白いと思えない。それってこの世界で生きている意味があるのか。死んでからも書けるんじゃないのか。(発信はできないが)
  
そんなわけでテレビは好きです。とくにバラエティが好きです。騒がしいほうが反射が多い。あとは可愛い女の子の瞳。可愛い女の子の瞳。……可愛い女の子の瞳!!!!