詩人感染症

詩は、感染するものだと思っている。詩人というものの定義は私にはよくわからず、だいたい私が詩人であると呼ばれるのは、詩集をだしたり、詩の賞をもらったりしているからで、つまり他人が「きみの書いたのは詩だね」って言ってくれて、それが本とか賞とか第三者にも観測できる形になっているからなのだと思う。もちろん自称もしているのでそれもあるだろうけれど、やっぱり小説やアートの世界でお仕事させてもらった時は、詩集出していることとか、賞とかが、やっぱり「詩人」という立場がぐらつかないよう支えているかんじはする。
詩人になるのにはどうしたらいいのかってのは、単純に謎であって、詩を書いていたら詩人であると思うし、もっと言えば書いた作品を見て誰かに「これは詩だ!」といわれたなら本人の意図と関係なく詩人であるのかもしれない。おもしろいとおもうんですよね。音楽とか小説とか映画とかで、「これは詩である」という感想あるじゃないですか。「もはや詩だ!」って。別ジャンルのところに形容詞として登場する文化ってなかなかないというか、たぶん普通のジャンルなどとは別の階層にあるんだろうなって。で、つまりそういう評をされた小説や映画をつくったひとも「詩人」だと思うのです。「詩人だね」って言葉を、普通にいいかんじのことを言った人にも言ったりしますが、ポエジーなことを言っていると認識されたならやっぱり「詩人」なんじゃないでしょうか。そう思うのは私が、「詩は感染する」と常日頃思っているからなんですが。
   
詩は感染します。これは断言できることかなと思っています。「死んでしまう系のぼくらに」をだしたあと、本当に中学生や高校生、それから詩にふれたことがなかったという人、本もめったに読まないという方が手にとってくださって、そして感想をくれました。その感想が、なんかちょっとポエジーなんです。(って、言ったら書いてくださった方は照れちゃうのでしょうか。)書いてくれる言葉がなんだか、すごく踊っていて、自由で、伝わるかどうかなんかより、もっとただただ自分の心臓の音を届けようとするようなそんな言葉。その人しかかけないであろう言葉で、つづられていました。で、それは、その人の前後のつぶやきもちらっと見ると、その人にとっても異質なことなんだなとわかる。普段は、普通の言葉で日常をつづっていることが多いんです。詩を書いてみたくなりました、と言ってもらえることもあって、なんかすごくうれしい。詩人を増やそう団とかには所属してないけどうれしい。そういえば最初の詩集「グッドモーニング」が中原中也賞をいただいたときも、井坂洋子さんに選評で「読んだ人に私にも書けそうと思わせる。でも、実際にやってみるとこの水準にはたどり着けない」というようなこと(うろおぼえですが)書いてくださっていて、もちろん、その後半部分はあんまりにありがたく、光栄な言葉なのですが、一方でその前半部分が私には嬉しかった。「書けそう」とか思われたい。「先回りされた!」ぐらいに思われたい。それであわてて「私も」って走り出してもらえるような、そんな言葉が書けたら楽しいじゃないですか。ぐちゃぐちゃで、それでも熱をおびた言葉が溢れたらすごいじゃないですか。って、これはべつに書く理由でも動機とかではないんですけど、みんながそういうポエジー感染させて言葉を書く世界になったら楽しくありませんか。え?こわい?
言葉には意味という枠があってさっきのブログにも書いたのに同じ話かよってかんじだけれど、でも、その「枠」のために言葉を使うっていうのはどうしても気持ち悪いんです。「恋」という言葉があって、それに合わせたような感情を作っていくのか、もやもやしたものを無理やり切り刻んでその枠に入るようにしていくのか。おかしくない? 言葉の奴隷ってやつじゃない? まあ奴隷でも別にそれなりには楽しくやっていけるのだと思う。言葉というのは情報伝達のためのもの。でも、その情報がちゃんと整理できるものじゃなかったら、真顔でむりやりちょんぎって整理して、それはそれですっきり、わかりやすい、って思う人もいるのだろう。それはまあいいや。そのほうが生きやすい社会にもなっている。でも、私は普通に正しく言葉を使って(ギャル語か否かとかそういう話ではなくね)生きている人が、ふと、詩に感染する瞬間を知っている。言葉にコントロールされた感情じゃなくて、言葉に負けるか、ねじふせられるものかって、ぐねぐねした感情をそのまま言葉に押し込もうとする、その熱みたいなものがぐいって伝わってくることを知っている。それは別にプロだからとかじゃなくて、誰でもできること。うそみたいだろ、だれでもできるんだ! そうして生まれた言葉はかわいくて、愛らしい。単純明快な言葉よりずっと伝わってくる気もする。本を読んで、感想を書こう、と思ったその人の、その時間や体温みたいなものが言葉に宿る。そういうのっていいよね、いっぱい書き直したんだろうなあ、というのが伝わってくるときだってある。もう、ただ単純にいいなあ、って思うし、だから私はすべてのひとを詩人だと言いたい。潜在的な詩人。ポテンシャルポエム。それは、別に何も間違っていないと思う。そうしてそういう人たちに「あっ!私詩人かも?!」って思わせる、感染していく詩を書けたらいいなとか思っているけど、こういうのは狙ってできることじゃないし、書くしかないのである。がんばりまんもす!ポエミーフューチャー!!